●野党共闘を通じて豊かな対案をつくる可能性

 

 二〇一五年、新安保法制反対闘争を通じて、共産党は野党共闘で政権を取りに行くことを明確にした。その結果、今後の日本における政権の対立軸は、自民党と公明党の政権か、共闘を組んだ野党の政権かになっていく(共産党が政権入りできるかは不確かだし、維新が野党の政権共闘を拒否することは確かだが)。他の選択肢はしばらく浮上しないだろう。

 立憲民主党の枝野氏は、近著『枝野ビジョン』の中で、民主党政権の時の失敗を振り返り、自分たちは第二自民党にはならないと明言している。大事な総括である。また、そこで述べられた経済社会政策を見ると、その言葉が真実であることが理解できる。

 

 しかし一方で、野党にとっての不安材料は、安全保障政策をめぐる問題である。自衛隊や日米安保などの基本政策で根本的に異なっていることだ。

 

 立憲民主党の政策を見ると、経済社会の分野とは異なり、安全保障政策ではほとんど自民党と同じである。それが大事だという立場である。辺野古問題で右往左往した民主党鳩山政権の悪夢がつきまとっているのであろう。核兵器禁止条約についても、自民党と変わらない。

 

 他方で共産党は、あまりにも違いが大きいことから、この問題での独自の政策を留保するとしている。共闘に自分たちの立場(安保と自衛隊の廃止)を持ち込まないということだ。その対応をすることにより、政権入りの障害をクリアーしたいと願っているが、それでも他の野党の理解を得られるかは不透明である。

 

 問題は、その結果として、自民党から野党に政権が移っても、安全保障政策の基本は変わらないことである(集団的自衛権を行使する関連法制は撤回される可能性があるが)。この分野では第二自民党の政策が続くのである。

 

 私は、立憲民主党は、この分野でも第二自民党から抜け出すべきであると考える。しかし、その議論をしようとしても、共産党が自分たちの立場は持ち込まないと明確にしているので、どこからも議論が起きないのが現状である。

 

 共産党はせめて、かつての「中立・自衛」の立場に戻るべきではないか。中立はともかく、「自衛」は大事だということになるなら、立憲民主党との接点も生まれる。自衛とはどういう立場なのか、どこまでが自衛なのか、自民党の安全保障政策は自衛の範囲にとどまっているのか、核兵器は自衛のために必要なのか等々、率直に議論することが可能になる。

 

 そうやって、異論を前提にして議論を闘わせ、一致点と不一致点を明確にすることによって、右寄りに傾斜した自民党とは異なり、豊かな安全保障政策を確立することが可能になるのではないだろうか。そのための議論が起こせれば、一回の選挙では無理であっても、二回、三回と試行錯誤を重ねることで、野党共闘が日本に将来にとって意味のあるものになるのではないか。そこに希望をつないで、あとがきを書き終えたい。(了)

 

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