結局、頭でどう理解しているかは別にして、現在の共産党は、安保条約廃棄・自衛隊解消を基本政策だと位置づけていないということになるのではないか。それを掲げない野党共闘の政権で、それなりに国民が幸福になる日本をつくれると思っているのだろうから。安全保障の問題でも、安保と自衛隊が存在するだけで戦争になるという認識なら、それを脇に置く野党共闘の政権など論外ということになるのだろうから。

 

 それならば、立憲や連合などから「基本政策が異なる」といってちゅうちょされることのないよう、安保廃棄と自衛隊解消が基本政策だという認識は改めるべきだと考える。前にも書いたが、綱領を素直に読めば分かるように、安全保障をめぐっては3段階が想定されている。最初は自衛隊の軍縮に取り組む段階(安保も自衛隊も維持される)、次が安保廃棄に取り組む段階(自衛隊は維持される)、そして最終的に自衛隊も解消される段階なのである。

 

 そして、軍隊の解消というのは、科学的社会主義の基礎理論によれば、共産主義の高い段階で実現するものである。それならば、共産主義の実現を基本政策だとは誰も言わないように、自衛隊の解消は共産主義の段階に実現すべきものと言うことだって可能である(科学的社会主義の理論と憲法九条とどっちを優先させるのかという議論も必要だ)。

 

 ということは、現在の基本政策は、あくまでいま述べた第一段階の政策だと位置づけるべきなのではないか。安保も自衛隊も維持するのが基本政策だということになれば、立憲その他の野党と共通点が生まれる(集団的自衛権と新安保法制に反対という点で自民党とは一致しない)。

 

 安全保障政策も含め、何を基本政策と位置づけるかについて、抜本的な再検討が必要だろう。天皇制の問題だって、ずっと将来は別にして、現在は現行憲法の擁護を掲げているということは、憲法に書かれている象徴天皇制の維持が政策なのである。それを基本政策だと言わないで、ずっとずっと将来の憲法改正をして実現する政治制度を基本政策だとする意味が、誰にとってもつかめないのではなかろうか。

 

 現在、共産党の票を抜きにして野党が自民党に勝利することは難しいだろうということが、野党共闘に向かわせる主要な動機になっているけれども、それでやっと共闘が実現するのは悲しいことだ。何百年先の共産主義の実現、軍事力の廃止、国民の平等の実現という目標では他の野党と異なるけれど、現在の基本政策はそれなりに一致する(すべてが一致する必要はない。明日、書くけれど)ということが、野党の共闘を深化させると考える。(続)