現在につながる野党共闘の始まりは、2015年の新安保法制の成立だった。それに反対して野党の国会共闘が深まり、成立時点で共産党の志位さんが、新安保法制廃止のための野党による政権を提唱し、それが市民の間でそれなりの共感を呼んだことが出発点だった。

 

 それまで共産党は長い間、憲法九条擁護のための政権共闘を呼びかけられても、安保廃棄などの基本政策で一致しない政権共闘を拒否してきたから、大きな転換だった。いまでも英断だったと思う。

 

 もし、野党の政権共闘が、新安保法制廃止の一点で深まり、国政選挙での連携が図られていたら、安全保障政策での違いを今回のようにはげしく攻撃されることもなかったであろう。昨日書いたように、その課題にしぼった政権共闘であって、課題が実現すれば総辞職なり開催するなりして、基本政策で一致する新しい政権の枠組みが模索されることになったであろうから。

 

 しかし、そうはならなかった。1つには、その課題だけにしぼった政権ということについて、政権の中枢を占めるはずの民主党(名前はいろいろ変わったが)の理解は及ばなかった。民主党は本格政権を目指していたのだろうから、そんな政権構想を受け入れる余地はなかったのだ。

 

 さらにもう1つ、その後も野党の国会共闘が続くことになったが、その過程で、政府与党提出の法案などに対して野党が共同で修正案を提出するなど、政策面での共闘が広がったからだ。その結果、新安保法制廃止というだけでなく、社会保障や経済などの面でも協力の余地が広がっていく。安全保障政策は真逆なままだったが、辺野古の新基地建設反対など、個別の課題では一致する部分もできてきた。

 

 そのため市民運動のなかで、野党の協力による本格政権ができるのではないかという期待(幻想?)を生み出すことになる。しかし、暫定政権と違って、安全保障政策での根本的違いを放置できないので、今回の共闘のように、共産党が独自の立場を押し付けないということでしか合意できなかった。それが暫定政権ならば「短期間だから」として容認できても、本格政権で長期政権をめざすというにしては、あまりに不安定だとして国民の目に映ったということだろう。

 

 問題は、「よりまし政権」なども含め、かつては政権構想を柔軟にできていた共産党が、今回の野党政権に対して綱領上のどんな位置づけを与えたのか、そこが見えなかったことである。画像は共産党の政権構想に関する私の座右の銘である。実際には12ページもある。(続)