ところで、今回の合意となったのは、市民連合と一致した政策に実現のための「限定的な閣外からの協力」だが、これってそもそも何なのだろうか。「閣外協力」と言い切らないのだから、そうではないのだろう。また、政策ごとの「部分連合」という概念もあるが、当事者がそう言わないのだから、それでもないのだろう。政治の世界のことであり、生きた政治の現実から生まれてくるものなので、過去の経験だけから判断することはできない。

 

 共産党は「党史上はじめて政権を取りに行く選挙だ」と意気込んでいた一方、立憲は選挙の現場は多様だったが、指導部はかなり冷淡だったと感じる。共産党の票はほしいが、共産党と政権共闘したと言われた結果として減る票のことを考えると、あいまいにしておくことが得策と判断したのかもしれない。しかし、閣外か閣内かが問題になって「閣外からの」と合意したわけだから、立憲指導部にとっても政権に関する合意であったことは否定できない。というか、否定しようがない。

 

 その結果、今回の共闘の意味を、共闘の当事者が同じ言葉で語ることはなかった。「立憲共産党」だとか言われても、じゃあそれとは違って何なのかという説明がされないので、国民は判断に困ったのではないか。一方で、共産党の側は、これで政治が根底から変わるのだと言うほどの宣伝をするのだから(実際には共産党が立候補をとりやめて譲歩する部分が多いのだから、そうでも言わないと党員が納得しないため、仕方のない面はある)、立憲の説明が曖昧なこともあり、「立憲共産党」は言い過ぎにしても、立憲と共産の連立政権だと感じる有権者も少なくなかったのではないか。

 

 では、もし選挙で多数を占めて枝野内閣ができていたとして、どういうふうな政権運営が想定されていたのだろうか。枝野さんは、国会に提出する法案や予算について、それが合意事項にあるのかどうか知らないが、共産党と事前に協議することはないと述べていた。

 

 ということになると、立憲政権は、共産党と相談せずに法案や予算案を提出し、共産党は、その実際の中身を見て、賛成するか反対するかを決めることになったのだろう。実際、共産党は、もし安保法制を廃止する法案が出て来れば賛成しただろうし、思いやり予算の特別協定がでてくれば、断固として反対することになっただろう。

 

 でも、それって、自民党政権が出す法案や予算案に対しても、同じ態度をとってきたのではないだろうか。安保法制廃止法案がでれば賛成、特別協定には反対ということだ。

 

 いわゆる対決法案でのことが話題になるから知らない人も少なくないが、自民党政権が出す法案だって、共産党は八割方賛成している。立憲政権になって、それが一割増えて九割になったとしても、本質的に違いはない。これが「立憲共産党」なら、現在だって「自民共産党」ということになる。

 

 しかし、それなのに、なぜこれが政権に関する合意ということになるのか。どんな意味があったのだろうか。(続)