関連してアメリカの問題にもふれておきます。アメリカ批判を基調にしてきた日本の平和・市民運動は間違っているのかどうかという問題でもあります。

 

 私は、日本の平和運動が、日本の主権や平和という角度から、アメリカ批判を基調としてきたことは間違っていないと考えます。日米安保条約にしばられ、アメリカに対してものも言えない現状が、日本の主権と平和を脅かしています。この基調は、日米安保条約が現在のようなかたちで存続する限り、変化することはないでしょう。

 

 また戦後すぐからこれまで、アメリカが世界の各地で侵略をくり返し、世界の平和を脅かしてきたことも事実です。それを日本の平和運動が批判してきたのも当然です。

 

 しかし、軍事にかかわる世界のすべての問題について、主な批判の対象はアメリカだと固定的に捉えることは、大きな間違いだと思います。日本政府の「アメリカ言いなり」を不偏の原則としてきた平和運動は、かつてオバマ政権が核兵器のない世界を提唱した際、大きな衝撃を受けました。日本政府は「アメリカ言いなり」になり、核兵器のない世界をアメリカとともに提唱せよと感じたのは、私だけだったでしょうか。

 

 台湾問題も、戦後すぐからのアメリカの道理のない対応が背景にあることは事実ですが、現在のアメリカは、台湾問題で先制的に軍事介入する方針を持っているわけではありません。あくまで、中国が台湾に武力を行使した際、何もしないではいられないと考えているわけです。そういう場合、中国の方針への批判は控えておいて、アメリカを主な批判の対象にすることは、すごくズレた対応だと感じます。

 

 中国が実際に武力解放に踏みだした際、アメリカが軍事介入することが予想されますが、その場合も、アメリカだけを批判するのはおかしなことです。アメリカの軍事介入を許さないというだけでは、中国が台湾を武力解放する事態は静観しろということになってしまいます。もちろん、アメリカが軍事介入すれば、日本もまた戦場になることは明らかであり、批判はしなければなりませんが、攻める中国と攻められる台湾を目の前にして、台湾を見捨てる態度をとるべきではないし(軍事的に支援すべきかどうかは別にして)、中立の態度をとることも適切ではないと私は思います。

 

 要するに、さまざまな戦争が予想されるわけですが、その戦争に対する態度を決めるにあたっては、誰が侵略をして誰がその被害を受けるのかを事実に即してリアルに判断しなければならないということです。日本の主権にかかわる問題では、常にアメリカに対する冷厳な批判が基調でなければなりませんが、日本の支配構造とは関係ないグローバルな問題では、アメリカが常に悪者だという固定的な思考は排除しなければならないということです。(続)