台湾海峡で絶対に戦争を起こさないために、いったい何が求められるのか。それには2つの選択肢しかありません。先ほど中国と台湾の基本姿勢のお話を書きましたが、その基本姿勢が改まることです。つまり、中国が武力行使の方針を放棄するか、台湾が「一つの中国」を認めるか、そのどちからです。アメリカが軍事介入しなければ中国も武力行使方針を放棄すると考える人もいるようですが、中国は外国からの干渉だけでなく台湾内部の独立策動に対しても武力行使すると明言しており、アメリカの態度如何で中国の方針が変わるものでないことは証明の不要なことでしょう。

 

 I東さんは、私が中国の武力行使方針ばかりを批判して、そのもとにある台湾の「独立志向」を指摘しないことを問題にしておられます。この「独立志向」こそが「原因の第一」と書かれているので、I東さんは、台湾海峡の危機を回避する手段として最も大事なのが、台湾が「一つの中国」の立場に立ち、「一国二制度」を受け入れることにあると考えておられるのかもしれません。なお、I東さんが独立志向に鉤括弧をつけておられるのは、台湾の人々が独立よりも現状維持を望んでいるからで、正確な見方だと思いますが、これもあとで論じましょう。

 

 台湾海峡で戦争を起こさない選択肢には二つしかなく、そのうちの一つは台湾が「一つの中国」を受け入れることだというのが私の立場であるのにもかかわらず、私はこの問題にあまりふれませんでした。それは、I東さんがおっしゃるように、私が「一国二制度」の検討を避けるためではなく、台湾の人々が中国との統一を望んでいないのに、それを強制するのはあり得ないという判断からのものです。しかし、平和・市民運動を担っている方々のなかには、帝国主義であるアメリカに近い台湾のほうが、帝国主義と対決しているかのように見える中国と比べ、よりきびしく批判する対象だと考える方が多いかもしれません。そういう見方とは離れても、「一つの中国」の問題が国際政治史の中で占める位置の大きさからすれば、この問題の是非は十分に検討されるべきものです。その点で、私の取り上げ方が不十分だったのは明らかであり、率直にお詫びします。

 

 ではなぜ、中国からの「一つの中国」「一国二制度」の呼びかけに応じない台湾の対応を、私が問題にしないのか。それは、台湾の現在の対応が、選挙その他によって表明された台湾の人々の確固たる意思だからです。いかなる国であれ、選挙で平和的に表明された人々の意思を無視してはならないし、ましてやその意思を武力で踏みにじることは許されないと考えるからです。

 

 歴史的に見れば、I東さんに講釈する必要はありませんが、「一つの中国」という考え方は、中華人民共和国と中華民国の双方に共通するものでした。お互いが相手を武力で解放して「一つの中国」を建設しようという方針を掲げてきました。

 

 ですから、その実力を台湾の側が失ったからといって、「一つの中国」には応じないという態度を取るのは、身勝手と言えば言えるかもしれません。けれども、政治において最も大事なのは、人々の自由に表明された意思がどういうもので、それにどう応えるかだと、私は考えます。そして、台湾の人々は、1990年代に反対政党の設立が認められ、自由と人権が次第に確立される過程において、中国の「一国二制度」の呼びかけには応じないという姿勢を次第に強めてきました。

 

 台湾の政治大学は、民主化が進んだ1990年代初頭から、この問題での世論調査を一貫して継続しています。それによると、92年の時点では、自分は中国人だと考える人が25.5%で、中国人でもあり台湾人でもあると考える人が46.4%と、合計で70%を超えていました。台湾人だと考える人は17.6%に過ぎませんでした。しかし、今年の調査では、中国人だと考えるはわずか2.7%、両方だと考えるのは31.4%と、合計でも三分の一になってしまいました。それに対して、台湾人だと考えるのは63.3%にのぼります。また、独立か現状維持か統一かという問題では、94年の時点で、それぞれ11.1%、48.3%、20.0%でしたが、今年は、31.4%、55.7%、7.4%でした。

 

 台湾の人々は、日増しに「一つの中国」を拒否しており、九割近くは現状維持か独立を求めています。そういう人々に果たして、いくらこの地域で戦争を起こさないためとはいえ、中国と統一せよと求めることができるのか。私はできないと考えます。

 

 台湾の蔡英文の前の総統は国民党の馬英九でした。国民党でもあり、「九二年コンセンサス」を評価していたこともあり、中国との統一にも前向きだったと捉えている人もいるようです。しかし、馬英九が掲げていたのは、「統一せず、独立せず、武力行使させず(不統、不独、不武)」というものでした。国民の意思が自由に表明される場合、どんな政権であれ、国民の意思を踏みにじることはできないのです(なお、「九二年コンセンサス」については、中国は「一つの中国」や「一国二制度」での合意を述べていますが、テキストが存在するわけでないことも関係して台湾側での評価はさまざまであり、一致できるのは「一つの中国にかかわる合意だった」というもののようです)。(続)