母が亡くなりました。88歳でした。自慢のというか、ずっと尊敬してきた母でした。ブログは一週間ほどお休みしますが、連載中のレジメが最終回なので、これだけアップしておきます。

 1960年には台湾海峡の紛争に在日米軍が関わることは、日本政府にとって日本の安全を脅かす問題であり、だから事前協議が必要だという立場だったのです。ところがしばらくして、同じ問題がアメリカだけが決定権を持つ問題だと認識を変えるに至った。

 そんなことではアメリカが日本の基地を自由気ままに使えるようになるのは当然なんですね。逆に日本の平和を守るためには、台湾海峡の問題では日本自身が自主的に判断する気概、能力を持つ必要があるということです。



五、脱却に決定的なのは安全保障のオルタナティブ

 

「(新安保)条約交渉は、1958年の台湾海峡の金門・馬祖事件を背景に行われたので、双方は、合衆国が在日基地から、または在日基地を通って、極東地域に軍隊を戦闘配置する必要が生じることを、きわめて明確に認識していた。日本側は、日本の安全が脅かされていない事態でありながら、合衆国の在日基地使用から生じる敵対行為に、日本が巻き込まれるかもしれないことに懸念を抱いていた。日本側の考えでは、金門・馬祖事件はそうした事態であった。このような理由で、日本政府との事前協議なしに日本から「戦闘作戦行動」を行わないよう、日本政府は主張した。」(「基地権の比較」)

 

「東郷(外務省条約局長、のちの外務次官)は、日本政府の立場の主要な側面は、『事前協議』に関する新しいスタンスであると述べた。過去には、日本の国民世論は、『事前協議』方式を、日本が戦争に巻き込まれるのを防ぐ手段と見た。しかし、日本政府は、現にそうしているように、米国のプレゼンスは今日、極東の平和と安定のための力であると認識しているので、アメリカの手を縛ることを望んでいない。東郷は、日本政府が(安保)条約の延長を願っていることには、いかなる疑問もないと述べた。そこで、日本政府はいま、事前協議に対する態度を『正しい姿』に戻すために、最善を尽くしている。日本政府は、一方的に行動する立場にないことを知っている。そこで、とられるべき軍事行動の判定者は合衆国でなければならないし、この地域での侵略に対抗するために沖縄の米軍基地からとられるべき行動の形態について、日本政府の側と意見の食い違いがあってはならない。」(1969年8月28日、マイヤー駐日アメリカ大使から国務長官宛の手紙)