もう6年ほど前になるのだろうけれど、日本における保守化・右傾化の構造を研究する会がつくられ、地道に研究を続けている。大学の先生方が中心である。

 

 『「日本会議」史観の乗り越え方』を書いたあと、それについて話せと言われて、短い報告を行って議論に参加させてもらった。この研究会は、対米従属の構造を研究することも掲げていて、『〈全条項分析〉日米地位協定の真実』についても話せということなので、今月23日に報告する。

 

 私はいつも簡単なレジメしかつくらないのだが(そのほうが自由に話せるし)、今回、何と言っても大学の先生をお相手なので、まじめなものをつくってみたので、ブログの読者にも紹介しておこうと思う。「はじめに」から始まって一から五まであるので、五回連載して少し解説という感じかな。

 

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はじめに──なぜ「全条項分析」に挑んだか

 

  ・無味乾燥な条項でも大事だと理解させた、うるま市の女性殺害事件

  ・「行政協定改訂問題点」の分析で分かる日米関係の構図(以下の三つの特質)

  ・研究者とは異なり、社会政治運動の視点から取り組んでいる

 

 

一、NATOにはない占領時代の継続という特質(占領延長型)

 

 1、戦争と同盟は数千年の歴史を持つが、平時の外国軍隊駐留は第二次大戦後の現象

  ・自民党も保守合同当時は米軍の漸次撤退を掲げていた

・戦時には2種類の駐留(同盟国間の作戦遂行上の駐留、敗戦後の占領)

  ・平時の外国軍駐留はイギリス連邦間のみだった(植民地から独立への特殊性)

  ・主権国家は排他的裁判権を持ち、被占領国は持たないという関係が明確

 

 2、NATOは戦勝国である主権国家の同盟、日米安保は占領の延長

  ・外形が同じだからといって、本質まで同じだとは言えない

  ・ドイツは占領の延長だが、出来上がった枠組みにあとから参加した

 

 3、日本には占領の延長として特有の行政協定が存在した

  ・その象徴が米軍の排他的裁判権という主権国家に反する条項

  ・両国の合意で基地を置く場合、一からなら拒否できるが占領下の延長だと相手の合意が不可欠

 

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 私が日米安保に関心を持ち始めた数十年前は、ある主権国家に外国軍隊が駐留することについて、それを支持する人の間でも「普通なことではない、いずれの日にかは軍隊はいなくなる」という感覚があったと思う。だって、戦争と同盟の何千年もの歴史の中で、平時に外国軍隊の駐留を許すということは、まったくあり得ないことだったからだ。

 

 だから、60年安保を審議した国会で、岸首相も「国連の安全保障が機能する日が来れば米軍は撤退する」と答弁したし、外相は「国連の機能とは関係なく撤退することもあり得る」と述べている。そもそも自民党が「駐留米軍の漸次撤退」を公約に掲げていたのである。

 

 しかし、戦後70年以上が経ち、NATOもずっと続いているので、平時に外国軍隊が駐留することが、いわば「常識」のようになってしまっている。

 

 私のお話の最初は、その「常識」を改めて問いかけることがまず一つ。さらに、外国軍隊が駐留するというのは、ただそれを眺めれば、NATOであれ日本であれ同じ現象のように見えるけれど、戦勝国がソ連に対抗するために国家主権の発動としてつくられたNATOと、敗戦国である日本を「反響の防壁」にすることをねらってつくられた日米安保とでは、そもそも本質が異なることを明らかにしたい。それを地位協定にからめてお話しするのである。(続)