枝野さんは「中身がない」と批判しているが、それも手強さを感じているからこそだろう。化けの皮をはがすのに時間はかからないと思うけれど、総選挙の投票日までは生命力を保つかもしれないからね。

 

 「新しい資本主義」という認識は、現在、日本が抱える問題が資本主義というシステムそのものに由来する問題であることを意味するはずだ。あれこれの個別の政策が問題をもたらしているという、小さな問題ではないという認識だ。

 

 与党の側は、資本主義のシステムを新しい問題にするのだと公約し、野党は、資本主義の維持を所与の前提として、あれこれの個別の政策で対抗する。こんな構図ができてしまうと、改革の姿勢の弱さみたいに見えて、野党にとってはかなり不利になってしまうに違いない。

 

 「枝野ビジョン」というのは、実は資本主義のシステムを問題にしているのである。ところが、その神髄を立憲の政調メンバーばかりか枝野さん自身も理解していないのだろうが、総選挙を前にして立憲民主党から政策として打ち出されるのは、個別の政策ばかりである。資本主義のシステムを改革する政策というのは、誰が考えても簡単に政策化できるものではなく、枝野さんの「中身がない」批判は自分にも跳ね返ってくる問題だ。

 

 ただ、岸田さんの「新しい資本主義」はすぐに馬脚をあらわすはずである。新自由主義以前の成長と分配の時代への里帰りということだから。「新しい資本主義」というより「古い資本主義」なのである。

 

 しかし、かつてのケインズ型の成長と分配の政策では資本主義のシステムが持たなくなって、それで新自由主義が頭をもたげてきた。それなのに、破綻した古いやり方、政策に戻るというのでは、日本経済が抱える問題はさらに深まるだけであろう。

 

 「新しい資本主義」というなら、ケインズ型でもない新自由主義でもない、まさに「新しい」視点を打ち出すものでなければならない。私はそれは、あらゆるレベルで国民が経済運営に主体的に参加する方向であると考えるし、経済運営の権力に国民が関与するコミュニズム的な未来であると期待している。

 

 ただ、枝野さんの消費税減税も所得税免除も「時限的」なもので、時間が経てばもとに戻すのであるから、やはり現行の資本主義システムを改革しようとするものではなさそうだ。野党が勢いを得ようとすれば、自分たちの個別の政策が「新しい資本主義」につながっていることを、大胆に示せるときだと感じるのだけれどね。

 

 今週は私用で忙しいので、明日からの記事は、23日に行われるある研究会で私が報告するレジメの解説程度にしますね。