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「自衛隊を活かす会」事務局長 松竹 伸幸

 

 私は、本書の編者である「自衛隊を活かす会」の実務を担っているが、同時に、本書の版元の編集部に属しているという、少し複雑な位置にある。しかし、その複雑さが本書を生み出す一因にもなっており、そこには9・11が大いに関わっているので、その事情だけを書いておきたい。

 

 9・11が起きた時、私はバリバリの左翼の一員であった。だからといって、誰よりも悪いのはアメリカだとまでは思わなかったし、ビンラディンを捕まえるのに軍事的手段は絶対に排除すべきだという立場でもなかった。軍事力は賞賛すべきものではないが、やむを得ずに使う場合があると考えていたのである。その意味で、左翼の中にある自衛隊絶対否定という立場には着いていくことができず、自分の立ち位置を模索していたと言える。

 

 そこに光明を見いだすきっかけとなったのがイラク戦争であった。正確にいえば、イラク反戦闘争の質的な高まりである。

 

 あの時、自衛隊のイラク派遣は違憲であるとの立場で全国いくつもの裁判が起こされたが、中でも注目されたのは北海道の札幌地裁における裁判であった。ここでは、かつて自民党の衆議院議員で防衛政務次官を務めたこともある箕輪登氏(故人)が原告団長となり、小泉首相を訴えていたのである。箕輪氏は、専守防衛の自衛隊は合憲であるが、戦争のために自衛隊を海外に派遣するのは違憲であって、愛する自衛隊員をそんな任務に就かせることはできないと訴えていた。

 

 しかも注目されたのは、旧社会党や共産党の国会議員経験者が原告団にくわわり、その箕輪氏を支えていたことである。左翼政党が専守防衛の自衛隊なら認めたというものではなかったにせよ、戦後長い間、憲法九条と自衛隊の関係をめぐって国民世論の中に存在してきた分断を乗りこえる道筋がほのかに見えたというのが、当時の私の実感であった。

 

 出版社に勤めることになった私は、最初の仕事として、箕輪氏らを著者とする『我、自衛隊を愛す 故に、憲法九条を守る』というタイトルの本をつくることになる。本の帯の推薦文は加藤紘一氏(故人、元自民党幹事長・防衛庁長官)に依頼した。また、その直後、伊勢﨑賢治氏にお願いし、同じような発想で『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』を書いていただくことになった。

 

 二〇〇九年に民主党の鳩山政権が誕生したが、重要な公約であった辺野古の県外移設をめぐって迷走し、公約を踏みにじることになる。その過程で、柳澤協二氏が抑止力の観点から沖縄には海兵隊は必ずしも必要でないと発言するのを拝見して感銘を受け、『抑止力を問う──元政府高官と防衛スペシャリスト達の対話』を書いていただいた。

 

 その本に収録した対話の一つが、「日本独自の安全保障を構想する」と題する加藤朗氏を相手にするものであった。日本は憲法九条にもとづく防衛戦略を持つべきだと二人が盛り上がるのを伺いながら、その提起こそが九条と自衛隊の分断を乗り越える道筋だと考えた私は、二人に執筆を持ちかけるが、まだ頭に構想が浮かんだばかりだと断られる。逆に、「あなたが書いてはどうだ」とおだてられて書いたのが、『憲法九条の軍事戦略』という本である。

 

 それら一連のやり取りの中で、憲法九条のもとで自衛隊の専守防衛や国際貢献のあり方を探求することの大切さは、私だけでなく防衛官僚経験者や国際政治の現場にいる人、学問の世界にいる人も、政治的立場を超えて共有していると感じた。そこで、もしその目的を実現するための会ができるなら、自分が実務を担いたいと分不相応にも表明し、二〇一四年に発足した「自衛隊を活かす会」の仕事をお手伝いすることとなった。

 

 「自衛隊を活かす会」は、これまで三つの提言を出しており、著作もいくつかある。二〇回ほど実施したシンポジウムなどの記録は、基本的にホームページで紹介している。それらが「現行憲法のもとで誕生し、国民に支持されてきた自衛隊のさらなる可能性を探り、活かす方向にこそ、国民と国際社会に受け入れられ、時代にふさわしい防衛のあり方」(設立趣意書)があるとする設立時の目的を達成しているかは、読者の判断にゆだねるしかない。本書も、「自衛隊を活かす会」の七年間の活動の集大成として、読者の批判を受けたいと考えている。

 

 9・11は非常に大きな出来事であり、世界にも日本にも重大な変化をもたらした。同時に、そのことを通じて人の生き方にも影響を与えたというのが、私の偽らざる実感である。