昨日の続き。マンガ評論家の紙屋高雪さんの「党内の自由な議論を根拠に処分されるべきではない」というタイトルのブログ記事をめぐる問題だ。https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com
 
 紙屋さんは、政党が多様性をもった存在として国民の目にうつることが、国民の支持を広げる上では大事だとは考えているようだ。いっぽう、それで政党のなかでいろいろな政策、考え方が混在することで、国民にとって「この政党の政策はどっちなんだ」となってしまうことを心配しているということだろう。
 
 いまどき、上から下まで一枚岩を誇るような政党は、絶対に国民から受け入れられることはない。これは間違いのないことである。
 
 だったら、何よりも大事なことは、それを基準にして政党の運営ルールを定めることではないだろうか。個々人の考え方は大事にしてもいいし、外に向かって表明してもいいが、「政党としてはこうだ」と説明するということだけは守るということである。
 
 もちろん、綱領のように、それを承認して入党したというような問題は、勝手に外で反対意見を述べることは無理だろうと思う。これまでも慣行として存在してきたように、党の側が「赤旗」等々で意見を述べさせるということになろう(それにしても幹部の見解への批判を「誹謗中傷だ」として載せないのはダメだろうが)。
 
 問題は、そのような種類の問題ではないことだ。昨日書いたように、綱領にも書いていない、大会でも決まっていないことであっても、政党として態度を決めなければならないことがある。そういう問題は、「すでに民主的に議論を尽くした上で決まったことだ」とは言えないので、別のルールが必要なのだと思う。政党として公開の議論の場を設けるのも一つのやり方だし、「党の見解はこうだが、自分はこういう違った考え方をしている」というやり方を許すなら、何が党の見解かが分からないという問題は生じないだろう。
 
 もっと大きな問題は、政党の中に派閥の存在が許されるかどうかという問題である。立憲や共産から時として聞かれるのは、「昔の自民党は派閥があって自由な議論があって多様性があったが、安倍時代以降モノトーンの政党に成り下がった」という議論である。自民党のあり方としてかつての派閥の意義を認めるなら、自分の政党でも認めるのが筋ではないかという問題だ。あるいは、分派に至らない派閥はあるのかという問題でもある。(続)