マンガ評論家の紙屋高雪さんが、立憲のあの本田議員の言論と党の対応に絡めて、政党の組織論を展開している。「党内の自由な議論を根拠に処分されるべきではない」というタイトルだ。https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 現代の日本において、どんな運営をする政党が求められるのかは、実際に政治を変えることに直結する問題であり、大事なテーマだと感じる。紙屋さんの結論に基本的には賛成なのだが、もっと現実に即して深めないといけないと思うので、いくつか期待を書いておきたい。

 紙屋さんは以下のように述べている。まず一般論であるが。

「政綱や綱領、理念に反する、つまりそれを変えることも含めて議論されていい。自由に議論できない集団では発展がないからである。だから、自由であるべき発言を根拠に組織的な処分、つまり罰を与えてはいけない。
 そして、それはあくまで内部議論とすべきである。
 近代政党として統一した見解を国民に示すのが責任だと思うからだ。」

 紙屋さんは、だからそれは非公開の議論であるべきだと述べている。そうはいっても境界線上の問題があるとして、その後にも書いているのだが。

 しかしまず、「政綱や綱領、理念に反する」問題の議論は非公開が原則といっても、何が「政綱や綱領、理念に反する」のかが問題である。綱領に書いていることならまだ判断がしやすいが、書いていなくても「決定」であるとして別の見解を国民向けに1人ひとりが言いにくいことは多い。

 たとえば現在の問題で言うと、オリンピック問題があげられる。例えばオリンピックは中止すべきという政党があったとして、それを綱領に書いている政党はない。大会決定で決めた政党もない。しかし、現実に即して生起する問題というのはあって、すべてを大会決定や綱領の改定まで待つわけにもいかない。けれども、党員にとっては意見を述べる機会もないまま決まってくるわけである。

 そういう際も、議論は非公開でなければならないのだろうか。自由に意見を述べるのはだめだろうか。

 こういう場合、政党としてはすでに決定した問題であっても、機関紙上で賛否を戦わせるような機会でもないと、民主的に決定されたことではないので、しこりが残るのではなかろうか。

 共産党の野党共闘で政権をという方針についても、私自身は、共産党がそれを打ち出す以前からそうすべきだと考え、活字にもしてきた。だから、当然賛成しているが、少なくない党員は、これまで何十年もの間、共闘を求める世論に対して、「安保廃棄の基本政策で一致しない場合は政権共闘はあり得ない」と説明してきたわけだ。それが大会での議論もしないまま大転換をしたのだから、戸惑いもあったと思う。

 これなどは、共産党の綱領をちゃんと読んでいれば、安保廃棄で一致しない政権共闘はありうるという答えが出てくるのは明白なのである。だから、私が以前からそう主張してきたのは、綱領にそったものだから内部の議論に留めなくてもよかったと、いまでも感じるのだが、紙屋さんはどうなのだろうか。(続)