昨日は名古屋で、斉藤幸平さんと聽濤弘さんの対談があった。このブログでも何回か紹介したが、130人を超える盛況で、いつもは高齢者ばかりが目立つこの種のイベントに、20歳代が1割程度は参加していたのが特徴か。
新進気鋭のマルキストとオールドボルシェビキの対談だと私は紹介してきたが、年齢も50ほど開きがあり、育った環境も異なる。昨日の言葉を引用すると、斉藤氏には「ソ連」という存在そのものが人生の中ではなく、聽濤氏はそのソ連に4年間の留学をしている。話がズレるが、その留学の後期は日ソ両党のはげしい対立が開始される時期であり、モスクワ大学の授業で教授が日本共産党を名指しで攻撃してくるようなこともあり、その時に、イタリア共産党からの留学生がそういうやり方は良くないと教授をたしなめてくれた話を、終了後の懇親会で伺って、なかなか楽しかった。
聽濤さんは戦後のまずしい時代に育ち、日本が高度成長を経ることで人々の暮らしも改善されてくる過程で、マルクス主義の正しさを実感した。しかし、環境問題の深刻化を見ながら、従来型のマルクス主義解釈ではやっていけないと感じ、最近の一連の著作を書いている。
斉藤さんは、すでに成長がとまった時代に学問を開始し、3.11で大きな衝撃を受け、またその時にドイツで暮らしていてドイツの人々の闘いにも学びつつ、後期マルクスの研究に没頭した。その中で、マルクスが残した片鱗には、現在の日本と世界の現状を打開する糸口があると考え、独創的な新社会像を提示した。
この2つの別方向からのアプローチが、もちろんすべてではないが、同じ方向を向くことになり、今回、対談と相成ったわけである。この交流と融合は、今後の日本の左翼運動の方向にも通じるものがあると感じる。
斉藤さんも、「是非、「赤旗」に登場したい」と強調しておられた。ところが、その共産党は、傘下の雑誌である「議会と自治体」や「経済」で斉藤氏への批判を展開している。とくにSDGs論をである。批判するのはいいというか必要なのだけれど、批判するならせめて斉藤氏のSDGs論にはすべて目を通すのが学問の世界の常識だが、不勉強を感じさせる程度でしかない。
また、政治の世界ではこれだけ「野党共闘」を強調しているのだから、学問の世界であっても立場の違った人とはどう共闘するのかをまず考えるのが普通だと思うのだが、ことがマルクスになるとそうならない。まさかマルクスの解釈は自分だけができるとか、他人のマルクス解釈はすべて批判の対象だと信じ切っているとは思いたくないけれど。
残念である。いつか斉藤さんが「赤旗」に出る日が来ることを願う。共産党の支部段階では、斉藤さんの講演会を計画するところが出てきているから、そういう流れは強まるとは思うんだけどね。