いま『13歳からの日米安保条約』を執筆途上である。弊社の人気シリーズで、最初に出したのはもう11年も前。浅井基文さんの『13歳からの平和教室』であった。それ以降、すでに14冊も刊行されている。

 

 日米安保について書かねばならないと思ったのは、ちょうど2年ほど前だろうか。でも、日米安保って保革の対立の歴史があるから、現在の中学生、高校生に向けて書くのはそう簡単ではない。「あなたはこっち派ね」と受け取られると、学校図書館などで買いにくいだろう。

 

 それで悩んでいて、当初は『13歳からの日米同盟』にしようかと考えたが、そうするともう「13歳から」という感じではなくなる。それで『13歳からの日米関係』はどうかと思ったが、あまりに幅が広すぎて、焦点がぼける。

 

 いろいろ考えたのだが、現行のものに落ち着かせた。だって、日米安保や自衛隊は学校で教えることになっているのだから、堂々とそのテーマで書けばいいのだと思ったのである。

 

 調べてみると、先生方は苦労しているようだ。文科省的には肯定的に教えなければならないが、問題点に目をつぶることはできない。だから、基地被害などの問題を重点的に教える先生もいるようだ。

 

 しかし、日米安保を教えるなら、安保の本質を避けてはいけないだろう。どうしたらイデオロギッシュにならないで、けれども問題点をつかめるようになるのかと悩んで、「世界史の中の日米安保条約」を第一章に持ってくることにした。

 

 人類が戦争を始めてからもう何千年も経つ。同盟が誕生したのだって、ギリシャの都市国家の時代だから、紀元前である。同じ意味を持つ合従連衡という言葉が中国で生まれたのも、同じ紀元前の春秋戦国時代だ。

 

 その後ずっと、同盟というのは、「国益」を基準として付いたり離れたりするものだった。第二次大戦後の同盟は、価値観やイデオロギーを基準として導入した点でも、外国軍隊の駐留という事態をもらたした点でも、この70数年の特殊な現象なのである。日米安保はさらに、占領から同盟へと至った点でも特殊である。

 

 その何千年の歴史のなかで日米安保を捉えることによって、安保をあしざまに批判しなくても、それが普遍的ではないものだと気づいてもらえるのではないか。歴史的に誕生したものは、歴史の必然性がなくなれば消滅することを理解してもらえるのではないか。

 

 そう思って全力で執筆中である。画像は、私が7年前に書いた『13歳からの領土問題』。