昨日、党規約に関することを論じたので、ついでに書いておく。佐藤さんは民主集中制の本質が戦前とあまり変わらないことを強調しているが、そうでもない。共産党内部でも勘違いして運用されていることもあるので、あえて書いておく。
公安調査庁の横尾次長は、「正論」の対談で、「客観的な視点で申しあげる」として、現行の規約で「党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社」となっていることなどを引用したりしている。また、1958年に決定した旧規約では、「敵の陰謀や弾圧にたいして」などの文言があったが、それが消えていること、「党の内部問題は、党内で解決し、党外にもちだしてはらならい」という規定の後半部分もなくなっていることも紹介している(それに対して佐藤さんが現規約は「党の内部問題は、党内で解決する」なので同じだと反論しているが、「もちだしてはならない」という強い調子とはかなりニュアンスが異なるのも事実である)。
何が変わって何が変わらないかは、規約の文面だけではなく実態も見なければならないので難しいが、ずいぶん変わった印象のものも少なくない。例えば「離党」である。これは20年前とはかなり異なっている。
2000年11月に決定された現在の規約は、第10条で「離党」を扱っているのだが、そこでは冒頭、簡単にこう書いている。
「党員は離党できる」
離党は権利として認められた。現在、離党を表明すれば、それを認めるのが規約の明文であり、運用上も基本なのである。権利なのだから、その権利を認めないで妨害する行為こそ、逆に規約違反になったのである。例外は、同じ規約10条に書かれているように、離党表明以前から「党規律違反行為をおこなっている場合」だけである。規律違反の処分がいやで離党するのを防ごうということだろう。
それ以前、離党を表明することは反党行為のように見られ、離党届けを受け取るのではなく、いろいろな調査を通じて、「党員の資格を明白に失った」として除籍されるなどの事態が相次いでいた。しかし、規約改正以後、少なくとも規約上の離党の権利は明白であり、多くの党組織が規約にそって運用をしている。
しかし、この党規約の抜本的な変化に鈍感な組織もあり、同じような運用がされている場合もあるようだ。だから、規約を改定した10年後の会議で(25大会2中総)、「離党を表明し、長期に党活動・党生活に参加していない党員、連絡先がわからず所在不明の党員が一定数報告されています」として、「党規約第10条どおりの対応をおこないます。党機関の判断で離党を認めないなどといった状況はあらためます」とされたのである。まあ、それ以降も、不勉強な組織が漫然と以前の運用を続ける場合もあるようだが。
とにかく、戦前の文書を持ってきて現在の共産党を判断するのは、まったくの時代後れである。私個人をめぐっても、「宮本時代なら間違いなく松竹さんは除名されていたね」とか、「松竹さんのおかげで民主集中制の解釈の幅が広がった」とか、党中央の人などからもいろいろ言われる。ある党員学者からは、「松竹さんがいるから、共産党の存在が豊に見える」と言われたこともある。それが正しいかどうかは知らないが、同じ民主集中制でも実態は変わっていることを見なければ、正確な共産党論にはならない。ね、佐藤さん。(続)