いちばんがっかりしたのは北方領土問題での共産党批判。佐藤さんの(鈴木宗男さんも含め)この問題での先駆的な行動を尊敬していたけれど、それが地に落ちた感じだ。

 

 北方領土問題は、戦後ずっと動かなかった。ソ連との間で問題を抱えていたほうが西側の一員としての立場を貫きやすかったからという政治的事情もあったが、何より、サンフランシスコ条約で日本は千島の領有を放棄したのに、そこに触れないまま「北方領土は千島ではない」という非常識な枠にしばられたため、ソ連に領土返還を求める道理、大義がなくなったからだ。

 

 そこに変化をもたらしたのが、佐藤さんであり鈴木さんであった。歯舞と色丹の二島返還を先行させ、その他は平和条約を結んだ際に解決するという論理を打ち立て、ソ連に迫っていったのだ。今思い起こしても、あの頃が、北方領土返還がもっとも現実的になった時代だったと思う。

 

 その頃に感じていたのは、佐藤さんって、もしかして日本共産党の北方領土返還の論理に密かに学んだのではないだろうかということだ。日本共産党は1979年のソ連共産党との会談で北方領土問題を提起し、それまで「聞く耳を持たない」という態度に終始していたソ連側から、「聞く耳を持った」と言わせた。

 

 その論拠となったのは、歯舞、色丹はそもそもサンフランシスコ条約で放棄した千島ではなく、歴史的にずっと北海道の一部であったということだ。そして、それ以外の島は条約で放棄した島にあたるが、第二次大戦は領土不拡大という連合国の原則があったはずで、それをスターリンが破ったのだから、ソ連がそれを反省し返還すべきであり、そこまで踏み込めば平和条約は達成できるという論理だった。一方、歯舞、色丹の返還も大きな前進なので、その際には中間的な条約を結ぼうという論理であった。

 

 だから、佐藤さんたちが二島とそれ以外を区別して対応し、ソ連側に変化が見られた際、尊敬もしたし、日本共産党から学ぶなんて(そうは明言していなかったが)立派だなとも思ったのだ。それだけに、志位さんが、鈴木さんや佐藤さんを「二島だけで終わらせようとしている」と批判した際、「共産党と同じような理屈なのに、変だなあ」と感じたのだ。

 

 ところがだ。この「正論」を見るとがっかりだ。佐藤さんは、79年の日ソ両党会談以前の日本共産党の古い立場を持ってきて、共産党は二島だけで満足して平和条約を結ぼうとしてきたと批判している。さすがの公安調査庁横尾次長も、「回答が難しい問題ですね」として、直接の回答を避けている。共産党の本格的な研究をしている公安調査庁にとって、肯定的な回答はできなかっただろう。

 

 ところで、この佐藤さんの共産党批判って、先ほど書いたように、志位さんが佐藤さんを批判したのと同じ論法である。同じアプローチをしているもの同士が同レベルで批判しあうようでは、やはり領土問題は動かない。

 

 佐藤さんは、共産党の領土問題での態度を「私のようにロシアを担当していた人間からするとびっくりします」と言っているが、それこそびっくりだ。ロシアを担当し、北方領土問題を担当してきた佐藤さんが、日本共産党の領土問題のいちばん大事な方針を知らないなんて。そんな程度の知識で領土問題を担当していたとしたら、それは失敗するはずでしょう。

 

 それとも、政権入りを狙う日本共産党を批判したいがために、こっそりと知らないことにしたのだろうか。どっちにしても、佐藤さんを尊敬してきた人間として、こんな悲しいことはない。緊急事態宣言があけて、いまから1泊で出かけるので、明日の更新は夜。(続)