枝野さんが共産党とは政権をともにしないと正式に表明した。率直に言って、それが現在の正直な到達点だと感じる。野党が国会で共闘することと、政権をともにするまでに至ることの間には、はてしないカベがあって、それが埋まるためにはまだまだ努力が必要である。

 

 枝野さんは「理念の違い」をあげたようだ。共闘というのは、理念や政策が違うものが連携し合うことだから、違い自体は共闘を妨げる理由にはならない。

 

 しかも、昨日書いたように、めざしている経済社会像を見ると、両党の間にはそんなに違いはない。共産主義とは違うだろうという人もいるかもしれないが、枝野さんの資本主義批判は、十分に接点があるのだ。

 

 しかし、安保・自衛隊をめぐる立憲と共産の違いは、きわめて大きい。ただ違うというだけでなく真逆であることが問題だろう。

 

 専守防衛と日米同盟基軸を打ち出す立憲に対して、専守防衛も日米同盟も間違いだという共産である。逆方向を向いているのだ。共産は自分の主張を留保するというけれど、あまりにも違うから、留保しながら政権を運営するのは難しい。

 

 共産は、政党としては独自の主張を貫くと言っているので、自分が代表を送っている政権の政策には反対するわけである。枝野首相にも自党の閣僚にも反対するのである。それで政権が安定するとしたら、離れ業のようなものだ。

 

 これは、何回か書いているように、将来は安保も自衛隊もなくすという点では違いがあるけれど、当面の基本政策は専守防衛だという立場を確立する以外に抜け道はない。だけど、共産の現状は、そういうふうにはならない。だから、現在、枝野さんが昨日表明した選択肢しかないということになる。

 

 けれど、枝野さんが言っているように、一致する政策でのパーシャルでの共闘はあり得るわけだ。そして、2015年に安倍内閣が強行した集団的自衛権容認をやめるということは、両党が一致するところであり、共産にとって政権問題での対応を変えた決定的な問題なので、その一点だけでも候補者一本化を容認しうるものだろう。

 

 政権には入らないけれど、どんな政策を実現するかという丁寧な議論を行い、それを選挙の度に繰り返すしか、この道が前に進んでいくことはなかろう。時間のかかる地道な仕事なので、じっくりと取り組んでほしい。