バイデン政権が、9.11の20年目までに米軍を無条件で撤退させると表明した。これは、パックス・アメリカーナを終わらせる象徴というだけでなく、これまでの世界秩序を終わらせる出来事だと感じる。そこにいつもアフガニスタンがからんでいることは、どんな意味があるのだろうか。

 

 アフガン戦争と聞けば、いま誰もが目の前のアメリカの戦争を思い浮かべる。しかし、それ以前、歴史教科書に載っていたアフガン戦争とは、イギリスの戦争だった。とりわけ、第一次大戦直後に行われた第三次第三次アフガン戦争(1919年)は、アフガニスタンがイギリス領インド帝国に攻め込んで独立を認めさせた戦争として名高い。こうしてパックス・ブリタニカは終わりを告げたのである。

 

 その2年前の1917年、ロシア革命があった。新政権はアフガンの独立を認めるなどして、社会主義の権威は一時期高まった。しかし、79年にソ連がアフガニスタンに軍事介入して泥沼化し、社会主義の権威は地に落ちて、89年に軍隊を撤退させる。その89年にベルリンの壁が打ち壊され、91年にソ連が崩壊したことによって、社会主義は現在に続く昏迷を余儀なくされる。

 

 そしてアメリカである。20年前の9.11は、一時期、テロの犠牲に対する同情を背景にして、凋落しつつあったアメリカの権威を高めるように見えた。しかし、最初から、アメリカの世紀を終わらせる要素を内包していたように、いまなら思える。

 

 一つは、ビン・ラディンを匿っていたアフガニスタンへの軍事介入ならば、国連安保理で自衛権の範囲だと認められたが、そこに満足することなくイラクとの戦争を開始したことだ。これで、国際法を踏みにじる側への転落があり、世界からの支持も同情も失った。

 

 もう一つは、当初は支持されたアフガンでも、戦争の仕方を間違えたことだ。テロを起こしたアルカイダとタリバンをテロリストとして同列に置いてタリバン政権を打倒したわけだが、タリバンの位置づけが最後まで揺れた。テロリストなら最後まで壊滅すべきだろうに、タリバンがアフガン全土で実効支配を復活させると、和解交渉の対象にした。テロリストとは和解も交渉もしないという原則が、ここではいとも簡単に崩れ、テロとの戦いとはいったい何を意味するのかさえ、アメリカは説明できなくなってしまった。

 

 こうしてアメリカの世紀も終わろうとしている。それは別に構わないというか、歓迎すべきことだと思うが、その替わりにやってくるのが中国の世紀しかないというところに、人類の暗い未来が見えてきて、悲しいね。