昨日の記事で、オリンピックの話が突然に自衛隊の話になって、違和感を持たれた方がいたみたいだ。そこで少し説明を加えておく。

 

 だいぶ前の話だが、ある女性団体の講演会に呼ばれて9条のお話をした。例によって、9条と自衛隊はかなりの長期間共存することになるということで、その理由は共存の作法をお話ししたのである。

 

 その時は、かなり緊張していた。その女性団体の中央組織は、子どもが目にする本に自衛隊の車両などが掲載されることに反対運動を展開するようなところである。かつ、私が呼ばれた地方組織は、かなり大きな自衛隊の駐屯地があって、そうした車両がいつも並んでいる。だから、自衛隊のイラク派兵の時などは、きっとそこの正門前で「派兵反対!」とシュプレヒコールをあげたような人たちが講演会にも参加していて、反発しながら私の話を聞いていると自覚していたのだ。

 

 ところがまったく反発が出なかった。それでなぜだろうと思って、終わったあとの懇親会で聞いてみた。そうしたら、その女性団体が地域でつくっている子育て子組には、自衛官の妻と子どもがたくさん参加しているというのである。だから、その女性団体の会員にとって、自衛官の妻は友だちであり、子どもたちも仲良しなのだ。

 

 その結果、自衛隊に対してはともかくも、従来型の護憲派が自衛官に対して抱く忌避感とか憎悪とかは持っていない。自衛隊の海外派兵に対して反対の声はあげるけれど、その声は、自衛官の家族が自分の夫が派遣されることに対して抱く不安や心配の気持と共通するものがあるということであった。

 

 これってすごく大事なことだ。自衛隊のさまざまな活動に批判を浴びせるにしても、そこに自分の親しい友人やその子どもがいて、その批判を聞いているということを想像すれば、打撃的な批判はできないからだ。逆に、自衛隊というものを抽象的に「悪だ」とか「憲法に違反して存在している」と捉えてしまうと、相手を傷つけるような批判でもやってしまうことになる。傷つけば傷つくほどいい批判ということになってしまう。結局、それで仲間を失うことになるのだけれど。

 

 オリンピックにしても、それを政治の世界で抽象的に捉えれば、「断固反対」で筋を通すという選択肢もあるのだろう。しかし、池江さんのようにオリンピックに向けて全力でがんばっている選手の心情を少しでも理解し、共感することができれば、がんばっている人の気持ちに寄り添った批判ができるのではないかと感じる次第である。