結論から言うと、旧植民地諸国とそれを支持する旧列強の人々が手を組んで、コンセンサスで国連総会決議のようなものを可決すべきではないだろうか。そこで、かつての植民地支配は間違っていた、それを国際法で確立されているとして多くの地域、人々を支配していった列強の行為は誤りだったというような決議だ。

 

 これは、核兵器禁止条約を生み出した日本の被爆者の経験から学んだ道筋だとも言える。この連載の初期に書いたように、被爆者は当初、日本の裁判所でアメリカを訴え、原爆投下が国際法違反だということは判決の中で示されたが、主権免除を理由に裁判そのものには敗訴した。

 

 そこで被爆者が選択したのは二つの道である。一つは、アメリカを被告として裁判ができないなら、サンフランシスコ平和条約で請求権を放棄した日本政府が賠償に応じるべきだという立場で、日本政府を相手にして闘うことである。もう一つが、核兵器廃絶という崇高な理念を掲げ、世界の世論の支持を得て実現することである。

 

 軍縮を理念とした国際連盟とは異なり、核兵器を保有するにいたったアメリカに配慮したのか、国連憲章には軍縮の規定がない。そして、核兵器の問題の国際的な取り決めとしては、核不拡散条約という大国の核独占を容認するものが国際合意になってしまった。

 

 それでも日本の被爆者は屈することなく、核廃絶を訴え続ける。自分たちの存在を見てくれ、こんな非人道的な行為が許されるのかと闘い続ける。

 

 そこに世界の共感が集まったことをベースにして、核兵器禁止条約はつくられたわけである。ここには国際法の変革は現在の世界ではどういう場合に成し遂げられるのかという、生きた実例がある。

 

 かつては、列強が力で国際法をつくり、世界の隅々を植民地として支配した。その植民地の人々は列強と力で闘って独立を勝ち取り、他国を力で支配することはこれからは違法になるという国際法をつくった。

 

 日本の被爆者が実践で示したのは、力ではなく道理で国際法の変革に挑めるということである(中国が力で国際法を変革するのは世界の支持を得ないだろう)。自分たちを苦しめたアメリカに対する怒りや憎しみ、賠償を求める本心はあるだろうが、それは脇に置いて世界中の世論の支持をどう集めるかに力を注いだのである。

 

 アメリカの黒人差別の問題をきっかけにして、イギリスでセシル・ローズの像が倒されるなど、植民地支配の過去を問い直す動きが生まれている。それならば、日本の植民地支配で人権を侵害された韓国の慰安婦や徴用工などは、世界の人々と連帯し、国連決議のような形で自分たちの意思を世界の意思として確認すべきではないだろうか。

 

 これは2001年のダーバン会議で成し遂げられなかったものを、新しい高みで実現することだ。韓国がここで世界的なリーダーシップを発揮できるなら、世界も動くし、日本の世論も変わってくるのではないかと思う。