本日は青森空港経由で秋田の大館市へ。昨年の6月30日、大館市で開かれた花岡事件の慰霊式に参加するまでは、こんなに入れ込むとは思いもしなかった。だけど、慰霊式で市長のお話を伺ったり、党派を超えて集まって慰霊している参加者を眺めながら、「この本はつくらなければならない」と思ってしまったんだよね。

 

 だって、この事件が全国であった中国人強制連行やその結果としての虐殺と比べて、質的にも量的にも悲惨だというだけではない。日本で唯一、行政がずっと慰霊式をやってきたという点で、現在の日本に示唆するものが多いのだ。

 

 この歳になって、えらく意欲的になってしまった結果、いろんな体験をすることになった。二つだけ書いておくと。

 

 一つは、やっぱり、いろいろ突っ込んでみるべきだということ。慰霊式を行政人としてはじめた最初の人は、山本常松さんといって、花岡町の町長さんである。

 

 戦後すぐまで存在していた政友会のメンバーだったということで、政治的には保守なのだと思う。だけど、強力だった鉱山の労働組合の支援を受けていたり、保守や革新という目で眺めていては見えないものがあったと感じる。

 

 60年代、行政主導のJAの取り組みなんかでも、日中友好協会が物産展をしたり平和展をしたりというのが普通だったらしい。あるいは、山本さんが戦時中、大館を離れている間、自分の家を在日の人に貸していたのだが、その在日の人は戦後、中国人の慰霊や送還でも積極的な役割を果たしている。

 

 現地に通いつめなければ分からないことが、いろいろ発掘できた。交通費には変えられません。意味のある仕事ができたという実感がある。

 

 もう一つは、革新の70年代、80年代を経て、90年代から始まる長い保守市政。私なんか、こういう問題には革新が熱心で、保守は不熱心という、ステレオタイプの見方にまだ縛られていて、保守の市長さんへのインタビューでもそういう目で臨んでいた。

 

 ところが、あんな事件の犠牲者を弔うのは当然ということで、何のちゅうちょもないんだよね。戦争責任とか戦後賠償とか、そういう問題がからむと、保守と革新の対立が起こってしまうのだが、犠牲者を弔うということでは、保守も革新もないのである。

 

 まあ、こんな短い文章では伝わらないでしょうから、6月30日に発行予定の本を是非買ってくださいね。よろしくお願いします。