さて、主権免除原則が崩れつつあることの例証として、このソウル中央地裁判決でも取り上げられているフェリーニ事件と、裁判では出てこないディストモ村事件だが、慰安婦問題とどう関係してくるだろうか。前者は強制労働事件、後者は虐殺事件であるが、人権侵害という点では慰安婦問題と共通している。だからこそ、ソウル中央地裁は、この事例を主権免除が否定していることの論拠として採用したわけである。

 

 前者の事件は、国際司法裁判所でドイツの主権免除の訴えが通って勝訴となったが、それでもドイツ側の人権侵害は認定され、それを放置してはならないとされている。現在、とりわけ戦時の女性に対する人権侵害を批判する流れは強まっており、国際司法裁判所で審理されることになったとして、主権免除が適用されて日本が勝訴したとしても、慰安婦問題そのものが無視されることにはならないだろう。

 

 ただし、この二つの事件と慰安婦問題が同列に論じられない問題がある。それは、フェリーニ事件がドイツによるイタリア人に対する、ディストモ村事件がドイツによるギリシャ人に対する行為だったが、つまりある国が外国において人権侵害を起こしたというものだったが、そこが慰安婦問題と違うところだ。

 

 いや、現在に生きているわれわれの目から見ると、慰安婦問題も日本が韓国の女性に対して犯した人権侵害なわけだが、当時の朝鮮半島は日本の領域とみなされ、日本の法律が適用されていたわけだ。その違いをどう考えるのかということを抜きに、「あの事件と同じだから同様に主権免除になる」というわけにはいかない。

 

 ソウル中央地裁の判決は、そこを十分に論じるものとなっていない。一度引用したが、そこを再度登場させてみる。

 

 「当時日本帝国により計画的、組織的に広範囲に行われた反人道的犯罪行為であって国際強行規範に違反するものあり、当時日本帝国により不法占領中であった韓半島内において我が国民である原告らに行われたものであって、この行為が国家の主権行為であったとしても国家免除を適用することはできず、例外的に大韓民国の裁判所に被告に対する裁判権があるというのが妥当である。」

 

 この論理が通用するには、当時の韓国が日本によって「不法占領中」だったこと、したがって慰安婦問題とは日本が当時は日本人だった女性に対して行った行為ではなく、「我が国民」に対して行った行為だということが実証される必要がある。

 

 つまりは、もし国際司法裁判所で韓国が勝利するには、当時、日本が朝鮮半島を植民地支配したことが違法だったことを裁判所に認めさせる必要があるということである。ソウル中央地裁の判決は、結論だけを述べて、そこを証明する論理を提示していない。それが国際司法裁判所でも最大のハードルとなるであろう。(続)