会社のメルマガに寄稿しました。アマゾンで30日に発売で、予約できます。

 

 斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』が20万部、白井聡氏の『武器としての「資本論」』が7万部売れているということで、にわかにマルクスの『資本論』が注目を浴びています。気候変動の影響が至るところで実感をもって受け止められ、私たちが住む社会が雇用や暮らしを守る仕組みを失っていることがコロナ禍で明るみに出るなかで、資本主義システムへの懐疑が広がるのは当然のことでしょう。

 

 この2冊が新進気鋭の若手によるマルクスへの新しいアプローチだとすれば、ここで紹介する『マルクスの「生産力」概念を捉え直す』は、古い言葉でいえばオールドボルシェヴィキによるマルクス論です。ただし、だからといってアプローチも古いかというと、まったく異なります。何十年もマルクスに親しみ、研究を重ねてきた著者の聽濤弘氏が、世の中が大きく変化するなかで、変革するための指針としてのマルクスを解釈し直さなければならないという立場で、マルクスの基本概念を捉え直そうとしたものです。率直に頭が下がります。

 

 その基本概念が「生産力」です。科学的社会主義の文献においては、「生産力」は基本的な概念です。何と言っても、マルクスの『経済学批判 序言』において、生産力の発展段階に応じて生産関係(封建制や資本主義など)が規定され、資本主義のなかで生産力が発展すれば社会主義の条件が生まれると理解されてきたからです。資本主義を乗り越えて社会主義に向かうという科学的社会主義にとって、欠かすことのできない概念なのです。

 

 これまでの理解のままで行くと、社会主義を展望するには、現在の生産力がさらに発展することが求められるようです。しかし、現実の社会においては、大規模な環境破壊にみられるように、果たしてこれ以上生産力を発展させることが必要なのかという事態が進行しています。大量に廃棄される食料や被服の情報に接するたびに、現在の生産力のままでも、人々が豊に暮らす社会の建設は可能だと思えてきます。そこで、生産力と生産関係に関するマルクスの理解がそのままで通用するのかと、著者は真剣に考えます。

 

 著者に再考のきっかけを与えたのは、若いレーニンが、『人民の友とは何か』において、マルクスの『経済学批判 序言』にある「生産力」という言葉を、ロシア語では「生産性」という言葉に訳し変えていた場合があることでした。生産力と生産性では意味が異なることは明らかですが(前者は生産の量であり、後者は質であるように思える)、レーニンは翻訳で間違ったのではなく、堂々とこれしかないという訳を提示している のです。そこには生産力という言葉が単数形で使われているか複数形かという問題も関係しているようだというところからスタートして、筆者は、河上肇以来のマルクス研究者においても、生産力という概念が多様に論じられていたことも踏まえ、新しい解釈を提示していくのです。それが、斎藤幸平氏らが提起している問題と重なり合っていくのは、見事としかいいようがありません。サブタイトルが「社会変革の新しい道筋のために」となっている理由がストンと胸に落ちます。

 

 その見事な論理に接したい方は本書を見ていただくとして、筆者の次の言葉を本文中から引用しておきましょう。マルクスやポスト資本主義に関心のある方には、是非、手にとっていただきたい一冊です。

 

 「マルクスの『生産力』概念は、今日においては財貨をつくりだす「もろもろの諸力」ではなく、労働量も資源もいかに最小の力で財貨をつくりだすか、すなわち「生産性」と捉え直す必要がある。……

 『最小の力の支出で、みずからの人間性にもっともふさわしい労働を!そして自由を!』これこそ変革の主体を確立し、『社会革命』を始めるための戦いのスローガンであろう。」