昨夜、NHKの歌番組がかかっていて、ボヤッと眺めていたら、さだまさしさんが出ていた。それで3.11後の福島に支援に行った話などもしていた。

 

 すぐに頭をよぎったのは、1年目の3.11のことだ。3.11が起きて、『福島は訴える』などいくつか関連の本をつくるなど、本業でも福島にかかわったのだが、1年目の3.11が近づくに連れて、その日はどうしても福島で過ごしたい、過ごさなければならないと思うようになった。

 

 その頃、別の本(『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』)の執筆をお願いして知り合った伊勢﨑賢治さんは、福島の様子が自分のよく知る紛争地域に重なって見えていた。おカネのある人は逃げられるが、貧しい人は戦火に巻き込まれるのが紛争現場である。

 

 そこで伊勢﨑さん、3.11の直後に福島第一原発の近くに入り、線量をモニタリングして、ちゃんと大丈夫な地域が存在することを確認し、ふだんは紛争地に向かうNGOを福島の支援に送っていた。通常のNGOは岩手や宮城には行くが、とても福島には足を寄せ付けない時期だった。

 

 3.11から半年くらい経ったとき、その伊勢﨑さんを迎えて、神戸でジャズセッションを開く。福島に支援に行っている方々の中継なども交えてだ。

 

 それらを通じて、3.11の1年目は、福島の浜通りで伊勢﨑さんのジャズセッションをやろうと考えた。第一原発の保守管理をしていた蓮池透さんも参加することになる。浜通りまで行って現地実行委員会もつくり、順調に動き始めた。

 

 そこで出てくるのが、さだまさしさんのお名前だ。伊勢﨑さんだけならボランティアでできるが、ピアノやベースやドラムの人は無料というわけにはいかない。それで現地の人に、「参加費はいくらくらいなら受け入れられますか」と聞いたら、「3.11の日には、さだまさしや日野皓正が無料コンサートをするというのに、伊勢﨑賢治でおカネは取れないよ」と言われたのだった。

 

 まあ、そういうことがあったから、「よし、無料にするために、全国からツアーを組織するぞ」という無謀な取り組みを開始し、それが10年間続くことになるのだけれど。いろいろな出会いがあり、いろいろな体験をして、いろいろ考えさせられることの多かった10年だった。(続)