主権免除は絶対的なものではないことは明らかである。地裁判決が強調するように、とくに大規模で組織的な人道犯罪があった際、その犯罪を行った国家の主権が絶対でないことは、いわば戦後史の常識である。

 

 その端緒が、戦後にドイツと日本を裁いた国際裁判である。人道犯罪ということで言えば、前者ではナチスによるユダヤ人虐殺が裁かれ、後者では花岡事件での中国人虐殺が裁かれた(横浜のBC級裁判)。

 

 東京裁判で日本が裁かれた「平和に対する罪」ならば、他国に迷惑をかけたわけだから、国際裁判で他国が裁くという論理はそれなりに通用した。しかし、ドイツを裁いた「人道に対する罪」というのは、ドイツによる自国民の虐殺という、常識的にはドイツ国内法でドイツの裁判所で裁くべきものであり、ニュルンベルク裁判所の規約を決める際にも反対意見が出たという。それでも、大規模で組織的な人道犯罪は裁かれなければならないという結論になったわけだ。出発点はここにある。

 

 1945年に結成された国連も、人権や人道を国内問題とせず、国際協力で達成することを目的としている。「経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」(第1条3項)

 

 国連はその後、48年に世界人権宣を採択し、66年には国際人権規約(社会権規約と自由権規約)もつくっている。その他、人権問題で各種の条約をつくり、慣行を積み重ねてきたことにより、人権は国内問題という古い考え方は成り立たなくなっている。

 

 とりわけ、自由権規約と同時に、その「選択議定書」が採択されたことは、この連載の主題にとって大事である。これは、人権侵害を受けた個人がいたとして、その国では救済されない場合、直接に国連の自由権規約委員会に訴え出ることを可能とする制度である。国家と個人の関係での大きな変化である。

 

 ただしこれらは、人権問題一般での条約であって、ドイツなどを裁いた「大規模で組織的な人道犯罪」への対応は遅れる。ドイツや日本の裁き方は、政治的には支持されたが、法律の専門家からは評判が良くなかった。戦争の勝者が、自分のきままに裁判所をつくり、判事を任命して裁くなど、裁判所の常識とはずれていた。だから、常設の裁判所をつくるための議論は戦後すぐに国連で開始されたのだが、冷戦が激化して、他国の犯罪を裁くなどは現実的にあり得ないこととなり、長きにわたって議論自体がストップしたのである。 

 

 しかし、改めて言うまでもなく、冷戦が崩壊するとすぐにこのために議論が開始され、1998年、ローマ規程の採択によって国際刑事裁判所が設立される。ジェノサイドや人道犯罪、侵略、戦争法規違反に責任のある国家指導者は、ここで裁かれることになった。重大犯罪では主権免除は主張できないという流れがあるわけだ。

 

 問題は、韓国の提起する慰安婦問題が、それらと同じ水準で議論されるべきものかということにある。(続)