先日ここで書いたことの関連だが、北朝鮮の体制批判を懲役・罰金刑にする韓国の法律が国際社会の批判を浴びている。もちろんアメリカもだが、国連からも声が聞こえてきた。産経新聞(12.21)によると、こういうことになっているらしい。

 

 「国連で北朝鮮の人権問題を担当するキンタナ特別報告者(画像の左の人)は16日、メディアへの論評で『北朝鮮住民に関与しようとする脱北者や市民団体の活動を制限する』と指摘し、施行前の再検討を促す異例の勧告をした。」

 

 法律は通ったけれど、その施行前に再検討せよということだ。当たり前だよね。国連に指名されて北朝鮮における人権侵害を調査し、報告してきた責任者にとって、北朝鮮による人権侵害批判を抑圧するような法律を認められるはずがない。

 

 情けないのは韓国の反論である。同じ新聞からの引用だ。

 

 「文政権も即座に反論した。統一省当局者は17日、キンタナ氏の勧告に遺憾を示し、『南北境界地域の多数の国民の安全を保護するため、少数の表現方式を最小限、制限した点をバランスを持ってみるべきだ』と主張した。康京和(カン・ギョンファ)外相は米CNNテレビのインタビューで『表現の自由は重要な権利だが、絶対的なものではない』と述べ、制限し得るとの立場を示した。」

 

 反論の前半部分は、要するに北朝鮮の脅しに屈したということだ。北朝鮮が過激な報復を言明すれば、韓国はそれをなだめるためなら国民の権利を制限してでも譲歩するということだ。

 

 後半部分は、なんだか、中国や北朝鮮がいつも人権問題で発言する内容を、そのまま反復しているように聞こえる。一応は民主主義国家を標榜していたのではなかったのか。

 

 悲しいのは、日本の政界、言論界から、この問題での韓国批判が聞こえてこないことだ。右派から聞こえないのは分かる。だって、「表現の自由は重要な権利だが、絶対的なものではない」という言い方は、安倍さんや菅さんなんかに似合っているからね。

 

 ところが、左翼からも声が出てこない。もし安倍さんが菅さんがが「表現の自由は重要な権利だが、絶対的なものではない」なんて言ったら、リベラルから総バッシングされそうだけど、韓国相手だとそうならない。まったく、ならない。

 

 左派・リベラルにとって、言論の自由とは自民党政権と闘うための道具に過ぎないのか。文在寅政権が自由を抑圧しても批判する対象にならないのか。深刻な事態である。