もう一か月ほど前になるが、「再び『インド太平洋』を論じる」という記事を書いた。日米両国が推し進める「自由で開かれたインド太平洋」戦略に対して、中国が「アジア版のNATOだ」と批判していることを捉え、菅さんが「特定の国を対象にしたものではない」と述べていることに道理がないことを論じたものだった。

 

 一昨日だったか、テレビがついていて、ボヤッと聞いていたら、「自由で開かれたインド太平洋」という言葉が耳に飛び込んできた。またかと思ってテレビに目を向けたら、RCEP(東アジア地域包括的経済連携)に関係各国が調印し、アジアに巨大な自由貿易圏がつくられるというニュースであった。

 

 ところがである。こちらの「自由で開かれたインド太平洋戦略」では、中国が積極的な役割を果たしている。一方、インドは途中まで交渉に参加したが、結局、当事者にはならなかった。アメリカの参加はそもそも想定されていない。つまり、日本は同じ「インド太平洋戦略」として位置づけるのだが、中国の言うような「アジア版のNATO」というものではない。右派メディアの中には、中国が主要な役割を果たすのではないかという危惧を表明するものもあるほどだ。

 

 ここには、日本政府の「迷い」が滲み出ているような気がする。かなり深刻な悩みだ。

 

 一方では、アメリカと一緒になって、最初に日本国内で首脳会談を開いたオーストラリアも巻き込み、インドも参加させて中国を軍事的に封じ込めたい。もともと「自由で開かれたインド太平洋戦略」というのは、政府がずっと言っているように、「航行の自由・法の支配などの基本的価値の定着」が最大の目的であり、それを脅かす中国を牽制することからスタートしている。アメリカが言い出して安倍さんが同調したというわけだ。

 

 他方、その種の封じ込めだけをやっていたのでは、中国市場からはじき飛ばされかねないので、いわゆる「関与」の戦略も重視したい。そんな迷いの中で右往左往している感じだ。

 

 別の戦略を、同じ「インド太平洋戦略」と言う名称で表現するから、聞いていると混乱してくる。しかし、この「迷い」自体は正当なことであると感じる。両方の戦略が日本には求められている。それを中国封じ込めを意識して使われている「自由で開かれたインド太平洋戦略」の枠組みで表現しようとするから、「混乱しているなあ」と感じるわけだ。

 

 政権も変わったことだし、菅さん、何かいい表現を公募でもしたらどうだろうか。中国にどう向き合うのかを国民的な議論にかける必要もあると思うし。