社会民主党の大会は何といったらいいのだろうか。どんなに栄華を誇った大政党でも、このような末路はあり得るということだろうか。それが自民党ならいいのだけれど。

 

 どこで間違ったかという問に対して、村山政権で安保と自衛隊を容認したことと答えるのが、現在の常識のようになっている。しかし、私はそうは思わない。

 

 村山政権以前から、社会党は自衛隊を容認していた。石橋政嗣氏の『非武装中立論』は、タイトルこそ「非武装」を掲げているが、中身を見れば、非武装という遠い将来の目標は捨てないまま、当面、どうやって自衛隊を容認するかという知恵をしぼった著作だったと思う。

 

 社会党員の多数も、すでに60年代から、世論調査では自衛隊を容認する姿勢を明確にしていた。国民もそうだった。だから、政権をめざす政党である以上、そこに何らかの回答が必要だったのである。石橋氏の著作も村山氏の選択も、その一つに過ぎなかった。

 

 しかし、長らく非武装が党のよって立つ理念であったが故に、少数とは言え中心的な活動家には付いていけなかった。その理念を守ろうとする少数の活動家と、それは現実的でないとする常識的な多数の党員、世論との乖離を最後まで埋められなかったということだとうと思う。党大会でお互いから怒号が飛び交ったとされるか、現状を象徴する出来事だった。

 

 その溝を埋めようとすれば、選択肢は一つしなかった。安保や自衛隊を容認するにしても、「この政策を続けていけば、アジアの平和と安定は確固としたものになり、いずれは安保も自衛隊もいらない世の中になる」と思わせるような防衛政策を創造することである。ところが、村山氏もその後継指導者も、安保や自衛隊を容認するというだけで、自民党と異なる防衛政策を探求することはなかった。歴史認識問題では村山談話を生みだしたのに、防衛政策は何一つ自民党と替わるものを提示できなかったのである。

 

 これは過去の問題ではない。野党が政権をめざすとして、集団的自衛権問題では何らかの決着をつけるにしても、それだけでは2015年の新安保法制以前の自民党の防衛政策に戻るというだけにすぎない。それだけだったら、やはり本流の自民党のほうがいいよということになって、野党共闘は国民から見放されることになるのではなかろうか。防衛政策の創造は、まさに今日的課題であると感じる。