先週末、秋田の大館市に行ってきたことは、すでに報告した。途中、青森は黒石市にある中野もみじ山に連れて行ってもらったり、いい体験もさせてもらったけれど、本筋は仕事。

 

 中国人労働者を何百人も虐殺した花岡事件を受け、大館市がずっと慰霊式を続けてきたことは、何回か書いてきた。そんなことをしている地方自治体は皆無な中で、なぜ大館市ではそれが可能になったのか。そこがいま準備している本で解明したいことである。

 

 24年間市長をした自民党の元市長さんにも話を伺った。革新市政時代に中心にいた元市議(現在は県議)さんにも詳しい話を聞いた。その他、関係者のところにも足を運んだ。そこで明らかになったことは、来年出版予定の本に盛り込まれるだろう。

 

 それらの話で共通して出てきたのが、大館市が花矢町と合併する際、花矢町から合併の条件として慰霊式の実施が提示され、それを大館市が約束したというものだった。それにしても、現在、その約束事が文書として残っているわけでもなく、それでも続けてきたのは大きな意味があると感じる。

 

 同時に、それを大館市に約束させたのが、花矢町の山本さんという町長なのだが、みんな共通して、その人の役割が大事だったと指摘する。そこで今回の出張では、山本さんのことをよく知ろうということで、花矢町時代の資料が残る図書館に行って、郷土史を調べたりもした。

 

 そうしたら、花矢町の歴史年表があり、1963年に花岡事件の石碑の除幕式をしたり(中国から人を招いている)、翌64年に慰霊式をやったりしたという記述が出てきた。ちゃんと調べてみるもんですね。

 

 

 さらにさらに、その山本さんのご子息がご存命だということまで分かったのである。今回の出張は、安い航空機で往復したこともあり、次の機会に回さざるを得なかったのだけれど、こうやっていろいろ動き回ると、新しいことが分かってきて、編集者冥利に尽きる。

 

 さてさて、どんな本ができるのだろうか。大館の人たちの中で、自分たちの市が誇りに感じられるような本ができれば、とってもうれしい。d