昨夜のNHKニュースに出ておられました。何といっても、勝訴した生業訴訟(「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟)の原告団長ですからね。

 

 中島孝さんと最初にお会いしたのは、3.11のあった年の9月頃だったでしょうか。福島の浜通りを案内していただいたのです。

 

 出版社の編集者としては当然のことですが、3.11のあとですぐ、本を作り始めました。最初の本が『福島は訴える』。福島県9条の会に編集をしていただいた本で、福島に止まっている人も避難した人も含め、20人程度の当事者の、まさに「訴え」でした。

 

 中島さんはこの本でも登場しています。相馬の漁港近くでスーパーを経営していて、あの日、従業員はいち早く避難させたが、まだスーパーを必要とする地元の人が残っていて、そういう人がいる限りここでがんばろうと、奥様と話し合ったお話が出てきます。

 

 1年目の3.11に浜通りでイベントを実施しようと思い立ち(実際に、蓮池透さんの講演と伊勢﨑賢治さんと地元出身のバンドのジャズセッション、相馬高校吹奏楽部の演奏などを実施し、全国からも200人ほどのツアーで1年目の3.11を過ごしました)、でも中通りの人もなかなか浜通りには行けない時期があったのです。しかし、9月になってようやく、9条の会が浜通りに行くマイクロバスを出すというので同乗させてもらうことに。

 

 その際、現地でお会いしたのが中島さんでした。私のブログなど読んでくださっていて、3.11イベントに向けた現地実行委員会にも加わってもらったのが、お付き合いの始まりでした。

 

 生業訴訟の原告団が結成され、団長をずっと務めておられますが、関連の本をつくることになった際、「是非、かもがわ出版でつくろう」と提起していただいたので、その後もずっとお付き合いすることになりました。ありがたいことです。

 

 今回の裁判は仙台の高裁でしたが、地裁段階では、毎回たくさん傍聴で訪れる原告の方々が、結局は傍聴券の数が足らないのです。そこで傍聴できない人のために近くで講演会を開くことになり、私が講師の選定やら同行やらをすることになり、裁判ともずっとかかわり続けることになりました。

 

 今回の勝利を受けて、原告団・弁護団は、4日(日)に、渋谷ロフトで判決後アフタートークのイベントを開きます。「改めて原発を考えるーいま福島で続いていること。この国で起こっていること」です。そこに鳩山友起夫さんをお招きする仲介もさせていただきました。ネットで見られるので、是非どうぞ。

 

 昨夜、テレビに映った中島さん。闘う決意にあふれていましたが、さすがに少しお疲れの様子も見えました。国の責任を明確にした初の高裁判決をふまえ、中島さんの役割はますます大事になってきます。お身体に気をつけて、是非、がんばってほしいと思います。私もお手伝いできることは何でもしますからね。