(ひきつづき、「まえがき」の連載。帯のコピーを一部変更しました)

 

 

 それなのに、せっかく安倍氏が退陣したというのに、何が「本当に残念」なのか。それは、安倍氏が国政選挙で六連勝という実績を誇ったまま辞めたことによって、「こうすれば安倍路線に反対する多数派がつくれるのだ」という実体験を持てないまま終わったからである。

 

 野党陣営の一部には、安倍氏の辞任を、「国民と野党が追い詰めた結果だ」「だから勝利だ」と捉える傾向がある。新型コロナという、世界がこれまで体験したことがない問題が発生したことで、安倍氏の総理大臣としての資質が問われ、国民が政権への信頼を喪失したことは事実であろう。各国首脳の中には、力強いビジョンを示したドイツの首相や、国民によりそう優しさを見せたニュージーランド首相など、危機に際してイニシアチブを発揮して支持率をあげた人たちがいたのに、安倍氏はその一員にはなれなかった。その点では、直接には病によるものであることも含め、安倍氏が「倒れた」し、「追い詰められた」ことは事実だ。しかし、「野党が追い詰めた結果だ」と言われて、納得する国民は少数派だろう。ましてや「倒した」とは言えない。真面目な野党支持者にとっても、安倍内閣の終焉は、「勝利感なき喜び」という程度に止まるのではなかろうか。

 

 これまでも安倍氏が追い詰められたことはあったが、その結果、選挙で「安倍ノー」の審判が下されることはなかった。例えば、集団的自衛権行使を一部容認する新安保法制には国民の過半数が反対し、野党が連立政権をめざして共闘するきっかけとなったが、その後の国政選挙でも安倍氏を戴く自民党が勝利を続けた。コロナ問題で追い詰められた安倍氏が首相のまま国政選挙に挑むことが仮にがあったとして、「これまでと違って今回は野党が勝利していた」と確信を持って言える野党指導者は、いったいどれほど存在するのだろうか。それほどの確信があるなら、なぜそれまでは勝てなかったのかについて、説得力あることが言えるのだろうか。退陣表明の直後の朝日新聞の世論調査で、「(安倍政権を)評価する」と答えた人が、「大いに」と「ある程度」をあわせて七割を超えたことは、花道相場が加味されていることを差し引いても、無視できるものではない。(続)