平田オリザさんは韓国留学組である。80年代に留学したそうだ。

 

 70年代、日本からは在日の方が韓国に留学しはじめた。しかし、軍事独裁政権下でもあり、少しでも不審を持たれた場合、投獄される方も少なくなかった。

 

 平田さんが行かれた80年代初頭も似たようなもので、とりわけ1980年は光州事件の年であるから、締め付けはいっそう厳しくなっていたようである。そういう軍事独裁に反対するデモや集会などもあったが、平田さんは、自分がそれに近づいたりすると、自分だけでなく、同じく留学している在日の友だちなどまでいっせいに検挙されることが明白だったので、自分個人の気持は抑えて、距離を置くようにしたという。

 

 その話を伺ってふと思ったのは、そうか、80年代までは、北も南も似たところがあったのだなあということだ。私が北朝鮮の平壌に行ったのも80年台後半で、独裁下でどう主張と行動を貫くのか(間違っても金日成像を拝んだりしない)、それなりに緊張して過ごしたものだが、南でも独裁との命をかけた闘いが続いていたわけだ。

 

 そのことから二つを考えた。一つは、あの北朝鮮でだって、いつかは独裁が崩れるかもしれないということだ。まあ、これは、願望に近いけれども。

 

 もう一つは、韓国の人々が命をかけて勝ち取った民主化と、日本人がアメリカからもらった民主化と、その異同である。それが日韓の和解を難しいものとしている。

 

 韓国の人にとっては、血を流して倒した独裁は、そのまま植民地支配を免罪した独裁につながっている。しかし、日本人にとっては、植民地支配はアメリカから免罪されたものだし、いまさら血を流して何かをやるものでもない。その日本人の感情を傷つける(血を流す)ようなやり方は、日本人多数の合意になることはないだろう。

 

 その深くて広い溝をどうやったら埋められるのか。まだまだ先が見えてこないのが現状である。ただ、アメリカの黒人差別問題をきっかけに、イギリスその他でも、植民地支配の問題に目が向いているので、世界規模でこの問題を考えていく機運は生まれていく可能性はあるのだと感じる。狭い日韓関係だけの視野ではなく、何かを考え、何かの行動を起こしていくべきなのだろうね。