授業を軸に学ぶ活動の発展を

 

 知的めざめを社会進歩に結びつけるつえで授業を重視することの重要なことはすでに述べた通りである。

 

 たしかに、教授が講義中に学生に向かって「まさか共産党に投票しないでしょうね」と公言したりする(東大)例や、正規の授業で「教育勅語」をテキストにした(筑波大)例もあるし、それほどでなくてもいわゆる「保守的」な教員は多数存在する。他方で今では少なくなったが、トロツキストが「日々の授業そのものがいブルジョアジーへの隷属の過程だ」などと称し授業を妨害してくることもある。

 

 けれども、科学は過去の価値ある遺産をすべて受け継くぐことを要求しており、学生の場合、授業に出席しよく学ぶということなしに、科学を発展させることもできないし、受け継いだ遺産をわがものとして社会進歩に確固たる確信を将来にわたってもちつづけることはむずかしい。授業に出席することは、科学するものの態度として当然のことなのである。同時に、「授業を軸」にしながらも、活動形態と内容はその学部、学科の条件や学生の要求に合致したものでなくてはならず、それにあわせた運動が必要であるし、科学的なものの見方を拡げるサークルの役割もそのなかで位置づけられる必要がある。

 

 たとえば、分野別の運動で注目されるのは教員養成系大学・学部であろう。教員養成系大学は予算も少なく、一クラスあたりの学生数も多い。力リキュラム等についても「教員免許法」でほぼ強制的に決定されており、授業時間数は異常に多い。しかし、今日の深刻な教育荒廃のもとで、学生はそれを克服するにふさわしい力量を身につけたいと真摯に願っているのである。

 

 このような条件と学生の要求にあわせて、教員養成系大学・学部ではクラスを基礎にサークルほど時間的に拘束のない自主ゼミが多数つくられ、全国の十方名の教員養成系学生のうち約四割がこの運動に参加するまでになっている。

 

 自然科学系の学部の場合も学生はかなり忙しい。「過密カリキュラムで困っている」「講義内容をわかりやすく」などが学生の共通の要求になっている。しかし、教育系とは迷って授業内容や方法については教員との話し合いによって解決できるものが多く、そのための運動がとりわけ重要であろう。

 

 さらに、自然科学はその対象である「自然」に階級性はないものの、研究成果の利用とその社会への表われ等の問題からするならば、誰のために真理を探究するのかが鋭く問われる。また、あまりに細分化・専門化しているため、学生は自然と社会の法則の全体系のなかでの自己の専門分野の位置づけを明確にしたいと思っている。茨城大学理学部では「唯物論と物理学」などをテーマにした自主ゼミや読書会がいくつか作られているが、こうした試みはもっとひろがっていいであろう。

 

 社会科学、人文科学系の学部の場合には、授業が過密でなくサークル活動が発展する条件がある。科学的なものの見方をひろめるうえで、今年の春から多数結成、強化された社会科学系サークルは積極的な役割を果たすに違いない。立命館大学経済学部のマルクス経済学研究会は、会員の理論水準を向上させるとともに、会員は必ずみずからのクラスで自習ゼミを結成しているため、学生の多くがマルクス経済学を理解できる条件をつくっているのである。

 

 知的めざめを社会進歩に結びつけるうえで、社会進歩を押しとどめようとするイデオロギーとの闘争を学生運動のあらゆる分時で強めることはますます重要になっている。

 

 一般的に言っても日本のような発達した資本主義国ではイデオロギー闘争は重要であるが、学生運動においては、社会の様々な思想潮流が知的にめざめる世代である学生に反映しやすい点からも特別に重視される必要がある。

 

 現在、イデオロギーの分野でも進歩と反動をめぐって厳しい闘争がくりひろげられている。知性と反知性、科学と反科学、民主主義と反民主主義の闘争が、現実政治での激動期に呼応するかのように強まっている。私たち学生は常に科学と真理を探究しているが故に、それと相対立するイデオロギーの攻勢に無関心ではいられない。いま、学生の知的めざめを社会進歩にむすびつける民主主義的運動の幅広い発展のために、思想闘争の正しい強化が求められている。

 

 たとえば、原水禁運動の学生の間での正しい発展のために、「民学同」など反全学連勢力の「核絶対否定」論の誤りの克服が必要である。これは、原子核の崩壊に際して生じる放射性物質が医学の分野でも応用されて人間の生命を救っていること、そして将来成功するであろろ核融合反応などによって人類が無限とも言うべききれいなエネルギーを入手できるであろうことなどの事実を否定する暴論である。現在においても、私たちが住んでいる地球でさえ、核融合で熱エネルギーを放出する太陽があるからこそ生命が存在しているのであり、「核絶対否定」の立場は科学や学問とは無縁の地平にいることを証明するだけであろう。

 

 人類の価値ある遺産を受け継ぐという点でも、科学的社会主義が独自の重要な役割を果たしてきたことは特筆に値する。レーニンは「青年同盟の任務」のなかで、科学的社会主義の特徴にふれて以下のようにいっている。

 

 「マルクスは、人間社会の発展法則を研究して、資本主義の発展が共産主義にいたることは避けられないことを理解した。そして、肝心なことは、彼が、彼以前の科学が与えたすべての成果をわがものとし、その助けによってはじめて右の点を証明したということである」。

 

 レーニンが強調しているこのマルクスの姿勢こそ科学するものに求められ基本的条件であるし、これを貫いたからマルクスはその知的めざめを社会進歩に結びつけ、空想から科学への社会主義の発展を切り開いたのであった。また、科学的社会主義はこうした見地にたっているが故に、イデオロギー闘争の分野でも、幅広い民主主義的運動と合致しそれを促進する思想になりえたのであった。

 

 学生が科学と真理を探究する限り、その知的めざめを社会進歩に結びつけなければならないし、またそれが可能であることは揺るぎない確信でもある。それは、何よりっも、戦前戦後の学生運動の歴史と伝統が雄弁に物語っている。

 

「学連(学生社会科学連合──筆者注)を中心とする学生たちの運動は科学と真理に忠実であるが故に、人民と学生の苦しみの根源である天皇制絶対主義への鋭い批判の運動として発展し、当時の民主主義的運動にも一定の影響を与えた。……こうして、様々な階層から出た学生たちはその掲げた真理と自由の旗印とともに前進し、当時学生、知識人から思想と学園の自由を奪いとるもの──天皇制こそが日本の圧倒的多数の国民に悲惨な生活と無権利状態を押しつけていることを見抜き、天皇制政府の進めた不正義の侵略戦争に反対し、天皇制政府と反動勢力のいかなる弾圧をも恐れず不屈に英雄的にたたかいぬいた」(全学連第十四回大会決定)

 

 このたたかいは、不屈の科学的社会主義の党、日本共産党のさししめす万向と合致したものであり、戦前の自由と民主主義部をめざす国民の闘争のなかで不滅の足跡を残すことになった。今日、日本の各分野での闘争が激しくなるなかで、日本学生運動の民主的伝統を受け継ぎ、知的めざめを社会進歩にむすびつける活動の壮大な発展めざして前進することが求められていると言えよう。