昨日、予告していた通り、花岡事件の75周年に慰霊祭に参加し、関係する場所を案内してもらってきました。写真は追悼の言葉を述べる大館市長です。

 

 大館のようなと言ったら失礼でしょうが、この規模の都市の取り組みに、これだけのメディアが取材に訪れるって、すごいことです。75年目ということもあるのでしょうけれどね。

 

 その理由として関係者がおっしゃるのは、花岡町が大館市に合併される際、合併の条件として大館市が了解したからということです。それもあるでしょうね。合併条件という理由だと、政治色が薄くて、保守でも「公約だから」と弁解しやすいし。

 

 でも、それだけではないと思います。まず、花岡町が慰霊祭を1960年代から開始した理由になっていませんし。

 

 それに、90年代になって嫌韓、嫌中の嵐が吹く中で、たとえ公約であっても、中国人犠牲者の追悼を継続するのはそれなりの覚悟が入ります。市民の中からも「いつまで続けるのか」という声が出ているそうです。何百人もの中国人を殺害したことを毎年思い出すきっかけになるのですから、当然でしょう。「もう止めろ」という圧力もあります。実際、保守市長の中でそれなりの逡巡があったことも伺いました。

 

 それでもいままで継続されている。現在、日韓関係において日本政府の態度を見る度に、その理由を深めることが大事だと思うのです。

 

 ということで、これを本にする話を、だいぶまとめてきました。追悼式の開始から革新市政時代までを、当時市議会議員だった方に、革新市政を破って保守になって以降を24年間市長を務めた方にインタビューするんです。それと読者にはなじみのない話になるので、そもそも花岡事件とは何かということをよく知っている人に、さらに企業からの和解金を勝ち取った経過を弁護士の方にうかがう。これらを池田香代子さんが聞き手になって進める本というイメージです。

 

 秋田に行って、温泉に入って、休んでいるんじゃないんですよ。ちゃんと仕事をしてきましたからね。写真は花岡事件の史料が展示されている花岡平和記念館。