2002年に日朝平壌会談があり、共産党にとっても拉致は疑惑でなく事実になって、対応の転換が求められた。横田めぐみさんの写真展への招待があり、志位さんが参加して、横田ご夫妻がとても感謝しているという話も伝わってきた。家族会と正常な関係が築ければ、運動の目標や方針についても率直に話し合える可能性もあった。

 

 ただ、その家族会が全力で推し進めた北朝鮮人権法(2006年)に共産党は反対し、その後、私は退職することになる。その経過はこのブログですでに連載したので、くり返さない。

 

 私にとって、拉致問題で左翼が挽回できるかどうかは、非常に重要な問題であった。拉致問題で北朝鮮への批判が高まっていることが、北朝鮮に好意的とみられてきた左翼の劣勢にもつながっているし、憲法九条改正の世論も高まっていたからだ。

 

 その中で2008年に刊行したのが、昨日紹介した蓮池透さんの『拉致—左右の垣根を超えた闘いへ』であった。そのサブタイトルに、私の願いが込められているが、実際、その願いにふさわしい反響がある。一水会の鈴木邦男さんがすぐに書評を書いてくださったり、杉並の市民団体が蓮池さんを呼んで池田香代子さんとの対談企画を実施したりしたので、映画監督の森達也さんも加わってもらって、すぐに『拉致2—左右の垣根を超える対話集』を刊行することになる。さあ、拉致問題の運動を左右の垣根を超えたものにするぞと、私は燃えていた。

 

 だから、蓮池さんの最初の本を出したとき、いろんなところに配布して、協力を呼びかけた。蓮池さんの講演会を開いたり、本の紹介をしてほしいという内容の呼びかけである。左翼的な市民運動が北朝鮮問題で劣勢に立っていたのだから、当然、そこからも反響が寄せられると信じていた。

 

 しかし、九条の会から返ってきた返事は、「九条と拉致問題は関係がないので、講演会にはお呼びできない」というそっけないものだった。まあ、蓮池さんは家族会の事務局長当時、九条を変えて自衛隊を派遣し被害者を救い出せみたいなことも言っていたから、そう簡単ではなかっただろう(ただ、この本の中では、九条を評価する言葉があることはお知らせしておく)。それでも、いくつか地方の九条の会からは講演依頼があり、とくに福島の浜通りの教職員九条の会から呼ばれたことは、3.11以降の企画につながり、現在に至っている。

 

 もちろん、すべての政党に対しても手紙を送って、協力を呼びかけた。当時の保守新党からは、「是非、ご協力したい」という連絡があった。共産党も会ってくださるという返事があったので、私はウキウキしながら共産党の本部を退職後はじめて訪れた。そこで愕然とすることになる。(続)