平田勝さんの著作を読んだ。午後から読み始めて、読み終わるまで一気だった。前々から読もうと思っていたのだが、アマゾンですぐに在庫切れになり、ようやく手に入ったのだ。

 

 サブタイトルに「1960年代の記録」とあるが、61年に東京大学に入学し、学生運動に没頭して8年間かけて69年に卒業されたので、60年代とは学生運動の記録である。

 

 読もうと思ったのは、まず表面的に経歴が似ていることがある。平田さんは東大教養部で駒場寮の委員長をやり、全寮連の委員長をへて、全学連の委員長を務めた。その後、共産党の専従扱いである新日本出版社に勤めたが、退職して自分で出版社を立ち上げた(花伝社)。

 

 私のことはブログ読者に説明するまでもないだろうが、大学は違うけれど(一橋大学)、教養部にある一橋寮の委員長をやり、全寮連の委員長をへて、全学連の委員長を務めた。その後、共産党の職員となり、退職して出版社に勤めることになった。違うのは、平田さんが卒業までに8年かかったけれど、私は6年で卒業した上に、学士入学してさらに1年学生運動に従事し、合計は7年だったことくらい。

 

 同じような経歴だから、経験したことにも似たようなことがある。細かいことで言うと、原水爆禁止世界大会に参加した際、原水協の幹部だった田沼肇氏(故人・法政大学教授)に、全学連の活動を強く叱責されたことも共通していた。平田さんは、「全学連の活動などというものは全然信用していない」と言われたそうだ。私の場合、「民学同のほうが全学連よりずっとマシ」という罵倒のようなものであったけれど。民学同といっても、何のことか知らない人のほうが多いだろうけれど。

 

 読んでいると、性格的にも似たようなことがある感じもしてくる。全学連の委員長になった際、朝日ジャーナルは、全学連内部で中国派と自主独立路線の共産党本部派の対立があり、妥協で「中立派の平田が委員長になった」と報じられたそうである(「公安情報」の丸写しであると判明し、抗議して訂正させたそうだが)。その背景には「中立派」と思わせるような言動があったからだと思うのだが、私の場合も、共産党系と保守系の両方から押されて寮委員長になったりしたから、どっちつかずみたいなところもあったりする。

 

 とはいえ、時代も違うし(私は73年から80年まで)、接したことのある共産党幹部の名前も、宮本顕治氏や宮本忠人氏などは共通しているが、記述の中心となっている広谷俊二氏は名前(悪名?)しか知らない。東大闘争を中心とする学生運動は70年代から衰退していったので、同じ学生運動といっても体験したことの水準にも違いがある。

 

 この本の白眉の一つは、新日和見主義に対する考え方で、私はようやく納得することができた。そういうことも含め、ボツボツと感想を書いていきたい。(続)