コロナ問題ではPCR検査のあり方がずっと議論になってきたが、緊急事態宣言解除の前後から、経済を動かすための全員検査論が登場している。モーニングショーで玉川徹さんや岡田晴恵さんが主張している。

 

 要するに、人との接触を何割も減らすというやり方を続けていては、結局、経済活動に大きな制約があるという現状が前提だ。だから、定期的に日本人全員を検査して、陽性の人を隔離することにすれば、残りの人は安心して日常の普通の暮らしが送れるし、仕事も気にせずに普通に行えるというものだ。

 

 いまだってせいぜい何万件という検査だから、一億何千万人を定期的に検査するというだけで、とほうもないことだと分かる。主張している本人たちも、「あくまで理想」という言い方をしている。

 

 だから、現実の政策として採用されることはないとは思う。しかも、日本でだけそういうことをしても、アフリカや南米もふくむ世界で感染が広がっていたら、日本の経済活動も正常さを取り戻せないのだから、世界の全人口を定期的に検査しないと思惑通りにならないわけで、やはりリアリティに欠けるわけだ。

 

 ただ、そんなことを思いつつ、さらに大きな違和感を持つにいたった。何と言ったらいいか、現在の検査論は、症状が出ているとか、医者が必要性を認めるとか、本人が希望すればとか、そういう種類のものである。何らかのかたちで感染が疑われる場合について検査しようというものだ。

 

 全員検査論は、そこが根本的に異なる。症状があろうがあるまいが、医者が必要と認めようが認めまいが、とにかく日本人を全員検査するのである。そして、陽性の人を隔離して、残りの人は安心して経済活動にいそしもうというものだ。

 

 人を隔離するということは、その人にとっては重大な出来事である。自分が病気を疑っていれば、そのための検査を受けることに躊躇することはないだろう。だけど、国家が定期的に国民全員を検査して、普通の暮らしをしていい人と隔離する人に分類するって、国のあり方としてどうかと感じてしまう。

 

 つい75年前まで、どこかにそうやって、健全な国民と不健全な国民を分け、後者を隔離した国があった。人種的な差別思想でそれをやるのと、経済活動をスムーズに進めるためにやるのとでは違うところはあるし、一生そこから出てこれないのと、直ったら出てこれるということにも違いがあることは理解できる。

 

 だけど、国民の感染状況を、本人の意思とは無縁に国家がいつも監視しているような国って、私はやはりなじめない。まあ、現実の政策にはならないだろうから、構わないのだけれど。