今回のコロナ問題の緊急事態宣言で、とくに政治の対応を取り上げると、国と地方自治体の対立が特徴的だ。東京都知事の小池さんから始まったけれど、いまや全国に拡大しているように見える。

 

 あの穏健そうに見える和歌山県知事の仁坂さんなんて、すぐに検査できないことについて「怒りを感じる」という強い言葉を使っていた。安倍政権の盛りの時代だと、そんなことを言ったら炎上していただろうが、命がかかっている事態だから、安倍さんがそれを軽視していると見える現在、普通の言葉として受け止められている。

 

 そして昨日、緊急事態宣言の延長の安倍会見を受けて、それがさらに加速した。大阪府の吉村知事は、「本来は国に(基準を)示してもらいたかったが、示されないとなったので大阪モデルを決定する」としたと述べ、公然と国のやり方を批判し、独自路線を進むことを表明している。その他の知事も、独自の判断をしていくようだ。

 

 これって、国と地方のあり方として、当然のことだと感じる。アメリカだって、大統領はいろいろ宣言できても、実際に権限を持っているのは州知事なのだから、それに近づいているだけだとも言える。

 

 しかし、これまで国家優先でやってきた日本の統治システムを考えると、画期的なことであろう。そういう変化がさらに進むことを望む。

 

 しかもそれが、安倍政権のもとで進んでいることが、なんとも皮肉だ。多くの人は、安倍さんって、こういう非常事態においては強権的にやるのだろうと感じていた。しかし、実際の安倍さんは、判断力もなく、イニシアチブを発揮する意欲も能力もない。そうして、あまりにも頼りないので、地方自治体が自分で動かざるを得ないということなのだ。

 

 大事なことは、国は宣言をするだけで、実際の権限は知事が行使するという現在の特措法の仕組みは、末期の民主党政権がつくったことである。どれだけ成果を上げたかは難しいが、とにかく地方分権を建前として掲げていた民主党政権だから、こういう仕組みを生むことができた。現在の地方自治体の首長の独自の動きは、そうやって法的にも保障されているわけだ。

 

 安倍さんは、事あるごとに、「悪夢のような民主党政権」を持ちだし、自己を正当化してきた。その「悪夢のような民主党政権」がつくった法律で、自己の頼りなさが白日の下にさらされているわけだから、将来、安倍さんが現在を振り返って、何と弁解するのか楽しみな気もする。

 

 ただ、安倍さんを擁護するわけではないが、イギリスでは、頼りがいのあるように見えたジョンソン首相がいても、あれほど感染が広がり、死者が増大している。そういう点では、指導者の頼りがいと国民の命は、比例的な関係にはないのだろうね。