三、旧宗主国の歴史認識を変える闘いが必要である

 

 植民地支配が違法か合法かというのは、国際法に属する問題です。日本と韓国の間でだけ議論し決着しても国際法は変わりません。世界の認識の変革が必要です。では、この問題は国際法の中ではどうなっているのでしょうか。

 

 一九六〇年、国連総会は、植民地独立付与宣言(正式名称:「植民地諸国、諸人民に対する独立付与宣言」決議一五一四第一五項)と題する決議を採択しました。「宣言」は「いかなる形式及び表現を問わず、植民地主義を急速かつ無条件に終結せしめる必要があることを厳粛に表明し」として、次のように述べています。

 

 「一 外国人による人民の征服、支配及び搾取は、基本的人権を否認し、国際連合憲章に違反し、世界の平和及び協力の促進の障害になっている。

 二 すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し、並びにその経済的、社会的地位及び文化的発展を自由に追求する。(以下、略)」

 

 これは、そこに住んでいる人民こそが国家を形成する権利をもっていることを定めたものであり(「人民の自決権」と呼ばれます)、宗主国が勝手に植民地支配を「合法」だと考え、支配を広げてきた過去との決別宣言です。現在、この考え方は国際法としての地位を有しており、植民地支配を行うことは違法だとみなされるようになりました。

 

 けれども、この「宣言」は、かつて欧米日が植民地支配を「合法」だとしたことを、「いや、違法だった」と転換させて、補償などを求めているわけではありません。ですから、日本政府も安心して賛成票を投じましたし、反対票を投じる国は一つもありませんでした。しかし、この程度の決議であっても、植民地の主要な宗主国であったアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ポルトガル、スペイン、南アフリカは棄権票を投じたのです。植民地支配は正しいという観念は欧米には根強く残ってきたのです。

 

 宗主国が違法性を認めないのですから、六五年の時点では、植民地支配が違法だとする国際法が確立したとは言えません(国際法が成立するには国家の慣行となっていることが求められますので)。その後、植民地の人々が血を流して宗主国と闘い、独立することによって、ようやく植民地支配は違法だという国際法が確立したのです。しかし、それでも、過去の植民地支配が違法だったと認められることは、これまでまったくありませんでした。

 

 「宣言」から四〇年以上が経った二〇〇一年、南アフリカのダーバンで、国連主催による「人種主義、人種差別、外国人排斥及び関連する不寛容に反対する世界会議」が開かれました。この会議では、かつての奴隷制や植民地支配などが「人道に対する罪」にあたるのではないか、謝罪や補償が必要なのではないかという問題が、戦後はじめて大規模に議論されたのです。

 

 議論の結果として全会一致採択された宣言のなかで、植民地主義は、奴隷制と同様、幾百万もの人々に被害を与え、悲劇的惨状をもたらしたことが認められました。画期的なことです。しかし一方で、奴隷制が「人道に対する罪」であることが認められたのに、植民地主義はそのような罪だとは認められませんでした。謝罪と補償についていうと、奴隷制に関しては実際にそれを行った国があることを紹介するだけであり、推奨や勧告をしているわけではなく、ましてや義務にしているわけでもありません。しかも、その程度のことでも対象とされているのは奴隷制に限られており、植民地主義はその範疇には入っていません。

 

 これを見れば、植民地支配を違法だと認めなかった点では同じとはいえ、それを明確に謝罪の対象とした村山談話と比べても、世界の水準が遅れていることは理解できると思います。しかも二〇〇九年、ダーバン会議の結果をフォローアップする会合が開かれたのですが、ドイツ、イタリア、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどは参加もしませんでした。その理由は、ダーバン会議におけるアフリカ諸国による謝罪と補償の求めが再現されるのを嫌ったからというのが、日本外務省の解説です。ヨーロッパ諸国は植民地支配に対する謝罪も補償も考えていないのでしょう(イタリアはかつてリビアに補償を約束しましたが現在は凍結状態)。

 

 かつての植民地支配が違法だったか合法だったかというのは、まさに国際法に関する判断です。日韓関係はその一部に過ぎません。植民地支配の大先輩である欧米がこのような現状のまま、日本だけが(とりわけ安倍政権に)先行して違法性を認めることは容易ではありません。植民地支配の違法性を認めさせるには、世界を相手にした闘いが必要になっているのです。(続)