一、判決の核心は植民地支配の違法性の提起にある

 

 徴用工の訴えを支持する人からよく聞かれる論理は、条約によって国家が請求権問題を決着させても、個人の請求権はなくならないというものです。日韓請求権協定で請求権問題は解決済みとされているわけですが、徴用工一人ひとりの権利は奪えないということです。

 

 これ自体は当然の論理です。国家が個人の権利を剥奪することはできないのですから。

 

 しかし、韓国大法院の判決は、個人の請求権が残っていることは認めていますが、そういう論理で日本企業に慰謝料の支払いを求めているわけではありません。誤解を怖れずにいえば、請求権協定に基づく個人の権利はすでに満たされているというのが、判決の見地だと思われます。

 

 判決は、日韓条約交渉の中で、韓国側が「被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済請求」をした上で、「請求権協定などが締結された」としています。そして、日本側が支払った無償三億ドルについて、「請求権、強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案された」と述べています。日本側が徴用工の請求権を勘案して支払をしたことを認めているのです。

 

 それだけではありません。それらの資金の一部は徴用工に渡されました。韓国側は、日本の資金を元手に(三億ドルの約一割)、「請求権資金法」(六六年)、「請求権申告法」(七一年)を制定し、死亡していた徴用工などに対する支払を行いました。それでは十分でないとして徴用工側が日本の裁判所に訴え、敗訴する中で、韓国政府も不十分さを認め、「太平洋戦争戦後国外強制動員犠牲者等支援に関する法律」(二〇〇七年)をつくるなどして、死亡者、負傷者はもとより未払い賃金等の支払を求める元徴用工、その遺族に対しても支払を行うことになったのです。判決はそういう事実を詳しく認定しているのです。

 

 それなのに、なぜ大法院は、なお個人の請求権は残っているとしたのでしょうか。すでに書いたように、請求権協定で解決済みとされたけれど個人の請求権は残っているという論理は、大法院の判決が依拠するところではありません。そうではなくて、請求権協定が想定した個人の請求権はすでに満たされたけれども、請求権協定では想定されていない個人の請求権が存在しているというものです。それが「違法な植民地支配」と結びついた請求権という新しい考え方です。

 

 「本件で問題となる原告らの損害賠償請求権は当時の日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権であるという点を明確にしておかなければならない。原告らは被告に対して未払い賃金や補償金を請求しているのではなく、上記のような慰謝料を請求しているのである」(傍線は引用者)

 

 これまで「請求権協定」という略称を用いてきましたが、正式名称は「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」という長ったらしいものです。見ただけでもイメージが伝わってくると思いますが、「財産」とか「経済協力」など、あくまで「金目(かねめ)」の問題を解決するための協定とされています。徴用工の未払い賃金はその典型でした。

 

 日本の植民地支配が違法かどうかは、日韓条約と請求権協定に至る過程では議論にはなってきたのです。しかし、そこに決着がつかなかったため、植民地支配の違法性の問題を脇に置いたまま、あくまで財産上の問題にケリをつけたのが請求権協定だったのです。

 

 植民地支配の問題では、そもそも国家間には何も合意が存在していません。国家間に合意はないけれども、植民地支配が違法だったことは明白なのだから、原告の請求権は残っているというのが、大法院判決の論理です。

 

 日本政府は、「請求権協定で解決済みだ」とか、「請求権協定に基づいて仲裁裁判の裁判員選任を求めているのに韓国が応えない」と言います。しかし、繰り返しになりますが、大法院判決は「請求権協定で解決済みだ」という日本政府の言い分を事実上認めた上で、請求の根拠を別のところに求めているのですから、日本政府の議論はかみ合っていません。

 

 ただし、韓国側の言い分にもかみ合わないところがあります。植民地支配が違法だというなら、それを提起すべき対象は日本政府になるはずなのに、被告になっているのは日本企業だからです。日本企業が慰謝料を支払ったところで、日本が植民地支配の違法性を認めたことにはなりません。どうやって日本政府にそれを認めさせるのかという問題提起は韓国側からされていません。

 

 条約が間違っていたから慰謝料を払えというのでは、条約の当事者ではない日本企業は対応しきれません。また、そんな間違った条約を結んだ韓国政府の責任はどうなるのかと、多くの日本国民は疑問を持つでしょう。条約が間違っていたとしても、その条約が規定する手続にそって間違いを正すのでなければ、法治国家とは言えません。

 

 例えば、将来、日米安保条約が間違いだという政権が日本で生まれたとして、新政権がやれることは二つあります。一つは、安保条約第一〇条に明記されているように、アメリカに対して条約の廃棄を通告することです。もう一つは、安保条約を日米友好条約に変える交渉を提起することです。いずれにせよ、条約を否定する新政権であっても、条約を結んだ自国の責任は免れないのですから、国内法ではなく国際法に従って行動する必要があります。

 

 徴用工問題にしても、韓国政府がすべきことは、「条約が間違っていたから賠償を」という大法院判決について、「判決を尊重する」というだけでは足りません。大法院判決を尊重するというなら、条約に規定された手続きに沿って日本政府に対して交渉を提起することです。請求権協定には解釈に違いがあった場合のやり方を書いているのですから、それにそって動くことです。どんなに困難な道のりであっても、日本と交渉し、「植民地支配は違法だった」と認めさせる以外にはないのです。

 

  これまでずっと議論されてこなかった問題のため、両方に混乱があるということでしょう。それを克服するには新しい考え方が必要だということです。(続)