アメリカやドイツ、フランスなどの国家指導者が、現在の事態を戦時になぞらえている。人の命が大量に脅かされることとか、国家のリソースを集中的に投与しないと乗り切れないこととか、確かに似ているところはあると思う。

 

 ただ、両者はやはり本質的に異なるもので、混同していると対応を誤ることになると感じる。政府側だけではなく、野党側も含めてだけれども。

 

 何が違うか。パンデミックは全人類が立ち向かわなければならないものだ。流行を放置しておけという人はいないだろうし、ましてやどんどん流行していいのだという人は皆無だろう。

 

 一方、戦争はどうなのか。誰もが同じ立場をとることはないという点が、パンデミックとは決定的に異なる。

 

 例えば、これまでアメリカはアフガニスタンでタリバンと戦争してきたが、アメリカ国民は当初は熱狂的に賛成していたけれど、もう反対する側に回ってしまった。同じ戦争なのに、勝てると思ったら賛成するが、勝てないと分かったら反対するわけだ。この戦争に対する日本国民の態度について言うと、最初の時期から反対する人と賛成する人が分かれていた。

 

 戦争って、こうやって賛否が分かれるものだから、国家指導者としては非常事態の宣言を必要とする場合が生まれる。総力戦で立ち向かわなければならないのに、それに反対する言論をする人があらわれたり、病院の収用が必要なのにそれを拒む人が出てきたりするからだ。

 

 だからこそ、非常事態宣言に対して、人権侵害を理由に反対することに理があるということになる。けれども、パンデミックの場合、同じ論理で反対しようとすると、おかしなことになる。

 

 戦争とは違って、パンデミック対策に反対する言論人はいないし、そういう報道機関も存在しない。対策の方向性には異論が生まれるだろうけれど。反戦闘争は存在するが、反パンデミック対策闘争はない。

 

 あるいは、自衛隊が病院をつくろうとすると、それだけで「野戦病院だ」とか「海外で戦争する自衛隊を治療するものだ」とか言って反対する人がいる。けれども、パンデミックで病院をつくるから土地を売ってほしいと言われ、反対する人はいないだろう。

 

 先日、K-1イベントを主催者が強行して問題になったけれど、イベント取りやめで損害に対して補償があれば、主催者も受け入れただろう。主催者は、正式に政府から要請があれば受け入れていただろうとさえ言っていた。イベントの主催者も含めて被害者になるのがパンデミックだから、補償がなくても決断できたかもしれないということだ。

 

 だけど、戦争の場合、反戦の立場の人は、いくら補償をするといっても、土地を野戦病院のために提供したりしない。全然異なるのだ。ウイルスと戦うことは誰も反対しないけれど、戦争で敵と戦うには異論が生まれる。だって、相手を敵とみなすのかどうかで意見が分かれるわけだし。

 

 だから、パンデミックの場合の非常事態宣言に反対する場合でも、同じ非常事態宣言という名称に騙されて、何の考えもないまま、これまで想定されてきた戦時の非常事態宣言と同じ論理を持ち出したら、完全に世論から浮きまくることになるだろう。反対する人には、少し知恵を働かせてもらいたい。

 

 このままでは日本でも宣言が出されるのは必至だろうからね。出張を終えて京都に向かう新幹線の中だけど、次の出張(4月3日から6日)は、東京封鎖で新幹線が熱海止まりとか!?