次に、「正しくもあり、間違いでもある」例である。さすがに、ジェノサイドや戦争犯罪など国際人道法(ジュネーブ諸条約で規定)に反する罪を自衛官が犯せば、たとえ地位協定で現地の裁判権が免除されても、日本では裁かれるのが基本である。そのはずである。

 

 日本は、武力攻撃事態法をつくった際(二〇〇四年)、「国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律」をつくった。その三年後、「国際刑事裁判所に対する協力等に関する法律」もつくり、「国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪」(ICC=国際刑事裁判所規程より)を裁くことを明確にした。

 

 しかし、「国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律」という仰々しい名前の法律を見ると、裁く対象になっている罪は、以下の四つに過ぎない。「重要な文化財を破壊する罪」、「捕虜の送還を遅延させる罪」、「占領地域に移送する罪」、「文民の出国等を妨げる罪」である。これらについては、「国外犯を処罰する」とされ、海外で犯した場合でも、日本の裁判の対象になるとされる。けれども、人道法で裁かれるべきは、ジェノサイドなどまさに重大な犯罪である。捕虜の扱いにしても、「送還を遅延させる」のはもちろん犯罪だが、殺害や虐待こそが問題だろう。

 

 このちぐはぐさの真相は、いったいどこにあるのか。それは、新しく法律をつくらずとも、「ほとんどのものが我が国の刑法等により処罰が可能」(外務省ホームページ)であるからということなのだ。

 

 「それなら安心」と思われるかもしれないが、「ほとんどのものが」とあることに注意してほしい。「全部」ではないのである。

 

 ジュネーブ条約などで規定されている犯罪行為は多岐に渡っており、かつその行為は日本の刑法で定義されるものとまったく同じというわけではない。だから、それらの犯罪行為を列挙して刑を定めるような新規立法をつくっておけば、「全部」を裁く法律だと胸を張れたのであるが、日本の刑法に規定のないことがあまりに明白な四種類だけをとりあげて立法化し、それ以外は既存の刑法でやっていくと判断したために、果たして「全部」を裁けるのかに自信が持てなくなってしまった。

 

 「ほとんど」という解説は、その結果である。条約に規定された全部の行為を裁く新規立法をつくらないと、国際人道法に対応する国内法になったとは言えないということだ。

 

 実はこの問題、もっと本質的な重大さを抱えている。ジェノサイドをICC規程の精神で裁けるのかどうかという問題である。それは明日に。(続)