内田樹さんが責任編集にあたるアンソロジー『街場の日韓論』に一文を書かせていただくことになっていて、昨日、その初校ゲラが届いた。3月4日締め切りということだったけど、本日、さっそく赤字を入れて返送した(写真)。4月末刊行らしい。

 

 この間、いろいろな場所で講演することがあり、そこで出された疑問に答えるかたちで原稿を書いている。おもに植民地支配の「違法性」に焦点を当てたものである。

 

 入れた赤字の中では、イタリアのことを挿入した。イタリアのリビアに対する謝罪と補償の件である。

 

 こうやって日本の過去が問題になってくるのはいいのだが、その中でよく出てくるのは、日本は遅れていて(それは事実だが)、外国は進んでいるというものだ。外国がここまでやっているのだから日本もやるべきだという論調が生まれる。

 

 たとえば、5日前の「赤旗」(2月16日)に、そのイタリアのことが載っていた。「植民地の反省で画期的な動き」(編集部の見出し)としてイタリアを取り上げたものである。東京大外でイタリア近現代史を教えている小田原琳先生へのインタビューである。

 

 ここでは、2008年にイタリアがかつて植民地支配したリビアとの間で友好条約を結んで、「植民地化後のリビア国民に生じた苦しみに対する後悔」(前文)を認め、25年間で50億ドル支払うことを約束したことが書かれている。小田原先生は、「個別の事件にとどまらず、植民地支配全体の反省を行ったことは画期的」と述べている。

 

 ここで書かれていることは事実であるし、大事なことだ。そして、これだけをボヤッと読んでいると、日本は遅れているなあという印象をもつかもしれないが、それは正しくない。小田原先生自身、日本との比較はどこでもやっていない。

 

 たしかに、「植民地支配全体」への反省と謝罪は、とても意味のあることだ。他のヨーロッパ諸国は、イギリスにせよドイツにせよオランダにせよ、植民地支配の時期に起きた特定の民族浄化など「個別の事件」しか謝罪と補償をしていないからだ。

 

 けれども、イタリアの水準は、日本では95年の村山談話で表明したものと同じである。日本が65年に支払った5億ドルもイタリアと同じ性格のものである。そのイタリアの動きを見出しで「画期的」と評価するから「日本は遅れている」という印象を持ってしまうのだが、同じ水準なのだから、そうならば日本の過去も「画期的」と評価しなければならない。

 

 しかも、どちらの国も、植民地支配の違法性を認めていないという点では、やはりまだまだなのだ。またイタリアの場合、その「画期的な」条約さえ、現在は凍結されている。植民地支配の違法性を認めない逆流は、ここにもあらわれているのである。

 

 いやあ、でも、イタリアは、毒ガスを使ってエチオピアで30万人、ソマリアで10万人を虐殺しているんだね。植民地支配が生んだ罪は重たいよ。