ご存じない方が多いでしょうが、「季論21」という雑誌がありまして、次にでる春号に日韓関係を植民地支配の観点から論じるものを書けといわれ、昨日、寄稿しました。その「はじめに」の部分だけ、ご紹介しておきます。

 

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 筆者は昨年一〇月、『日韓が和解する日──両国が共に歩める道がある』を上梓しました。一昨年一二月、元徴用工問題での韓国大法院(日本の最高裁にあたる)判決が出たあと、日韓関係が深刻化していく危機感にかられて執筆を開始したのですが、結論が見えないまま苦悩する日々が続きました。何が難しかったかといえば、大法院判決が提起したことが、「植民地支配の違法性」という新しい問題だったからです。

 

 本誌の読者にとってみれば、「そんなことは新しくない。当たり前じゃないか」という問題かもしれません。しかし、一九六五年以降の日韓関係において、教科書問題や慰安婦問題など多くの議論がありましたが、韓国側から日本側に対して、かつての植民地支配の違法性を認めろという要求が出されたことはありませんでした。戦後五〇年にあたる一九九五年、いわゆる村山富市総理大臣談話が出され、植民地支配によって「多大の損害と苦痛」を与えたことに言及しましたが、あとで述べるように植民地支配が違法であったという認識は拒否しました。

 

 何故かといえば、戦後の日韓関係を律してきたのが、植民地支配の違法性については曖昧にするという「原則」だったからです。よく知られているように、六五年の日韓基本条約と請求権協定に至る過程では、韓国側は植民地支配は違法だったと認めろと要求しました。しかし、日本側は合法だったと主張し、折り合いがつかずに「もはや無効」としてどちらにも解釈ができるようにしました。ですから、その後、日本側が「合法だった」と韓国に迫ることもなければ、韓国側が公式に「違法だった」と日本に迫ることもなかったのです。

 

 大法院判決はそこを突き崩そうとするものです。この判決の内容を実現していくことは、戦後の日韓関係を根底から揺るがすものであり、だからこそ大きな軋轢を生んでいるのです。本稿では、そういう視点に立って、どうすれば植民地支配の違法性という認識を確立できるのかを探ってみたいと思います。