2.11の日に日韓関係の問題で講演するので、頭がそっちに傾いていて、ブログもそれに引きずられてしまった。講演内容も固まったので、本日で終了しておく。

 

 植民地支配の違法性を明確にするためには、世界規模で旧宗主国がそう考えることが不可欠だということは、何回も強調してきた。しかし、昨日書いたように、韓国が早くから違法性を提起してきたのは歴史的経過からして当然だというだけでなく、日本側にも世界に先駆けてそういう認識を確立する条件があると思う。

 

 何故かというと、宗主国となった欧米日を比べて見て、日本は特殊な存在だからだ。具体的に言えば、欧米は一方的に支配する側に立ってきて、だから自分の行為を「合法だ」とみなし、言い張ってきたわけだが、日本は、宗主国になる以前の一時期、植民地とされる危機を味わった経験があるということだ。

 

 いわゆる「攘夷」の時代であるが、その時期、日本の指導者たちは、「欧米が日本を支配しても合法」などとは考えなかったはずである。だからこそ、「欧米と並んで違法か合法かを判断する主体の一員とならなければと考え、必死で富国強兵に挑んだのである。

 

 だから、「その時期、日本政府は自国が支配されても合法」と考えていたのかと、現在の日本政府に問うてみれば、「そうだ」とは言えないのではないか。そうすると、自国が支配されることは違法だけれど、韓国が支配されることは合法だということになるのだが、それを分ける基準はどこにあるのだろうか。それを日本政府に問うてみたい。

 

 1919年のベルサイユ会議に参加した日本政府代表が、人種差別撤廃条項を国際連盟規約に入れるように提案して、それを安倍さんが至るところで自慢している。当時すでに朝鮮半島を支配していたわけなので、それは大いなる欺瞞ではあるのだが、一方でそこには支配の危機を味わった日本ならではの複雑な感情も含まれているように思える。

 

 それならば、人種差別を違法だとして憎む気持が当時の日本にあったのだから(国際連盟規約に入れるということは国際法にするということである)、その人種差別意識が生み出したアフリカやアジアの広大な地域を植民地化も違法だという認識に立っていたはずではないのか。人種差別撤廃条項を自慢する安倍さんには是非それを聞いてみたい気がするのである。(写真は2月2日のイベント)