かつての植民地支配が違法だったかどうかの議論が本格的に開始されたのは、アフリカ諸国についていうと、2001年に南アフリカで開かれたダーバン会議が最初だろう。欧米はそういう認識を拒否し、決着がつかなかったわけだけれども(日韓条約ほどの曖昧な決着もなかった)。

 

 それに対して、韓国は、日韓条約の審議過程で、植民地支配で被害を被ったというだけでなく、「違法だった」という認識をもちだした。アフリカ諸国の先をいっていたわけである。なぜそういう違いが生まれたのか。

 

 6年ほど前、ソウルに行ったとき、韓国最後の皇帝である高宗(コジョン)の記念館みたいなところを訪ねた。印象的だったのは、高宗が「万国公法」の本を持って写っている写真があったことだ。(たぶん)オランダで刊行された国際法の本である。

 

 欧米諸国がアフリカやアジアを植民地にしていった時代、勝手に国際法をつくって、それを実行したのであるが、おそらくアフリカやアジアの国々は、その国際法を学んで欧米に対抗するというまでには至らなかった。しかし韓国は、日本から少し遅れたものの、国際法を身につける大切さを自覚し、自分も欧米諸国と同じ国際法の主体になろうとしたのである。

 

 にもかかわらず、日本は韓国を植民地化した。というか、その事実を欧米が公認することによって、日本は国際法の主体となり、韓国は主体となり得なかったという関係にあるだろう。

 

 ただ、いずれにせよ、韓国は国際法の主体となりたいという強い気持ちがあった。そうであるが故に、日本の植民地化が違法だという認識を早い時期から確立したと言えるのだと感じる。

 

 かつての植民地支配が違法だったという認識を確立するには、欧米も含めて支配した側が共通してその認識に到達する必要はある。けれども、日韓で支配の違法性がずっと議論されてきた事情を考えれば、世界に先駆けて日韓がこの問題での決着をつける必要性もあるし、可能性もあるかもしれない。(続)