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 1986年の国際司法裁判所の判決。ニカラグア事件判決と呼ばれる。70年代末にニカラグアに反米政権が生まれ、緊張が激化するのだが、アメリカはニカラグアの港湾を機雷封鎖したり、周辺国から出撃するニカラグアの反政府勢力の後方支援をやっていた。それに対してニカラグアがアメリカの行為は国際法に違反するとして、国際司法裁判所に提訴したものである。その判決が86年に出されたのだ。

 

 武力行使の違法性をはじめて国際司法裁判所が判断したということで重要な意味をもつ。たとえば、国連憲章では個別的自衛権も集団的自衛権も区別していないように見えるが、判決は集団的自衛権の行使には独自の要件が必要だと判断し(武力攻撃が実際に発生していることや攻撃された国による明示的な要請が必要だということ)、数年前の新安保法制の議論の際もよく引用された。

 

 この連載にとって重要なことは、武力行使にかかわる慣習国際法と国連憲章の関係を明らかにしたことである。それには理由がある。

 

 アメリカは訴えられた直後、裁判に入る前の手続の段階で、審理にあたっては慣習国際法にのみ基づいてされるべきだと訴えた。そうでないと裁判に応じないと言ったのだ。まあ、国連憲章では自衛権は「武力攻撃」の際にしか発動できないことが明確なので、それを嫌ったのであろう。

 

 裁判所はそれに応じて、慣習国際法にもとづいてアメリカの行動が合法か違法かを判断することになる。その上で、じゃあ慣習国際法と国連憲章はどういう関係にあるかについても、はじめての判断を下すことになったのだ。

 

 そのおかげで、慣習国際法で合法だとされてきたマイナー自衛権(武力攻撃がなくても発動されるとアメリカなどが主張してきた権利)についても、一定の判断が下されることになったわけだ。アメリカのおかげだね。

 

 その結論は、連載の次回(最終回)で紹介するが、本日はそれと関連するもう一つ大事だと思うことを書いておく。慣習国際法って、その用語でも明確なように、すごく単純化すると、国家が慣習として行う行為は合法だという見地を含んでいる。実際に国家が行っているわけだから、それで定着しているということだ。

 

 しかし、そんなことが通用すると、国家が違法行為を繰り返せば繰り返すほど、違法行為が合法行為ということになってしまう。86年の判決はそれに異論を提示したことにも大きな意味がある。こう判示している。

 

 「裁判所は、慣習法規の存在を導きだすためには、諸国家の行動が一般的にその規則と一致しており、それらが一致しない場合は、そのことが新しい規則の承認の表示としてではなく、当該規則の違反であると一般的に取り扱われれば十分であると考える。国家が一見したところ承認された規則と一致しない行動をとるときでも、規則そののもの枠内で例外または正当であると訴えて防御につとめるならば、その国家の態度の意味は規則を弱めるというよりは承認することになる」

 

 ある国が違法な行為を行う。それを合法だと言い張るために、例えば国連憲章51条を持ち出したとする(「これは武力攻撃に対する自衛権だと主張する」)。それって、五一条の「規則を弱めるというよりは承認することになる」ということだ。違法行為を合法だと訴えれば訴えるほど、51条の価値は減じるのではなく高まるということなのだ。(続)