連載の初期に書いたことだが、戦後、武力行使が行われると、時として国連安保理や総会で議論がされた。「時として」というのは、いまでは想像できないだろうか、戦争しても議論にならない場合だってあったからだ。

 

 その象徴はベトナム戦争であり、第二次大戦後で最大の戦争だったにもかかわらず、安保理では何の議論もされていない。その理由は、いうまでもなく、戦争の主な当事者であったアメリカ、ソ連が常任理事国の一員であって、議論しても拒否権で葬り去られることが見えていたからだ(現在は、そうであっても安保理で議論されることが当然になっているので、隔世の感がある)。

 

 その結果、議論されるのは、安保理常任理事国以外の武力行使ということになり、すでに紹介したように、イスラエルが主に議題とされたというのが真相である。そして、自衛権は憲章51条にある「武力攻撃」があった時だけのものか、それとも慣習国際法を理由にしてより軽微な主権侵害に対しても自衛権を行使できるのか(マーナー自衛権とも呼ばれた)が争点となったのである。

 

 武力を行使する大国の側はマイナー自衛権を擁護し、被害を受ける小国は51条を厳格に守れと主張するのが基本構図であった(北欧は後者に回ることが多かった)。国際法学者も、それぞれ支持者がいた。

 

 その構図が大きく変わったのが80年代である。安保理が何もできない現状に不満を募らせた国々が、国連総会の場で議論を決着させようとしたのである。その結果、大国の戦争が国連総会で批判を受け、批判決議が採択されるという事態が生まれる。

 

 詳しくは書かないが、最初に衝撃を与えたのが、1980年1月4日の国連総会決議。前年末のソ連によるアフガニスタンへの軍事介入を批判した決議である。賛成が104か国にものぼった(反対18、棄権18)。

 

 次にやり玉にあがったのはアメリカ。83年にカリブ海の島国グレナダに軍事介入し(この際も、在住1000人のアメリカ人の生命の危険が口実だったが、同じく400名が在住していたカナダはがそんな危険があるとはは主張しなかった)。ソ連より多い賛成108(反対9、棄権27)という結果だった。その後も、86年のリビア空爆、89年のパナマ侵略などに際し、国連総会はアメリカ批判の決議を採択する。

 

 こうした実践を通じて、51条の「武力攻撃」がなくても自衛権を行使できるのか、51条にある「武力攻撃」とはどんなものなのかが確立してくる。その到達を示したのが、86年の国際司法裁判所の判決であった。(続)