安倍さんはよくこれを自慢する。1919年、第一次大戦後の講和問題を話し合うためにパリで開かれた講和会議で、日本政府が人種差別撤廃条項を国際連盟規約に入れろと要求したということをだ。「各国民の平等及びその国民に対する公正待遇の主義を是認する」という文面だったそうだ。

 

 賛成が多かったのだが、会議の議長をしていたアメリカのウィルソン大統領が、「こんな大事な問題は全会一致が原則」だとして否決したという。人種差別に苦しんでいたアメリカの黒人はこれを聞いて各地で暴動を起こしたという。

 

 1919年といえば、すでに日本は朝鮮半島を植民地として支配していた。朝鮮民族を堂々と差別していた側にあったわけで、ダブルスタンダードでもあり、左翼・リベラリストには評判が悪い。

 

 ただ、わたしは、そういう問題点があることを十分に自覚しつつも、これを現在の日韓関係を打開する材料とすべきではないかと考えている。どういうことか。

 

 当時、世界中が植民地で覆い尽くされ、白人が有色人種を差別するのがスタンダードになっていた。アメリカに移住した日本人に対する差別もひどいものだった。

 

 だから、当時の日本政府が、人種差別を撤廃したいと願ったこと自体は、あまりにも当然のことだったと考える。自分が朝鮮民族を差別しているという自覚が欠落していたにせよだ。

 

 それは、欧米による植民地支配は違法だという考え方につながったはずだ。実際、国際連盟規約に「各国民の平等」「公正待遇」という文面が明記されれば、法的にも植民地支配の問題点を追及する根拠となったであろう。幕末に欧米による支配を危惧して明治維新を起こした指導者たちは、植民地支配は違法だと考えたからこそ、あれだけのエネルギーを発揮することができたのだろう。

 

 それならば、ベルサイユ会議で人種差別撤廃を提案した日本は、当時の世界で植民地支配は違法だと主張したに等しい。そういうふうに安倍政権に迫っていけないか。

 

 韓国大法院判決が求めているのも、植民地支配は違法だという認識の確立である。戦後の自民党政権は(戦後50年の村山談話も含めてだが)、かつての植民地支配は合法だったという立場に固執している。しかし、ベルサイユ会議まではそうではなかった。そこを認めさせる大事な材料として、安倍さんが自慢するこの提案を利用すべきだと考えている。やり方はもっと工夫してみるけれどね。