香港の人々の自由と人権を守れるか、そのために国際社会が何ができるかが、これからずっと焦点になってくる。香港では人権は命がけの闘いだが、外から人権を口にするのは簡単で、格好がよく見えるし、いろいろな人々や政治勢力が「人権派」を標榜するようになっている。

 

 それが口だけに終わらず、少しでも実効性のあるものとなるカギは何か。それはやはり、いざという時には人権を組織的に侵害する責任者に対して、少なくとも経済制裁措置を発動できるかどうかだろう。

 

 重大な人権侵害には経済制裁という考え方が現実のものになったのは、南アフリカのシャープビル事件。1960年、通行証の携行を義務づけられた南アの人々がそれを拒否したことに対して、白人政権が警察力で襲いかかり、68人が殺害され、184人が負傷した。その後の国連総会、安保理のいろいろな模索を通じて、このような行為が侵略と同様に「国際の平和と安全に対する脅威」になるとして、経済制裁への合意が生み出されていく。

 

 そういう「事件」が発生せずとも、安保理が経済制裁を発動したのが、66年の南ローデシア(現在のジンバブエ)。イギリスの植民地で白人政権が支配していたが、イギリスから独立してでも差別体制を続行することを政府が強行したのをきっかけに、安保理がまず石油輸出禁止を勧告し(65年)、翌年に包括的な経済制裁を決議したのだ。

 

 これらと違って、安保理常任理事国である中国に対する経済制裁は、もちろん安保理の決議としては行えない。だけど、だからといって何もしないという選択肢はなかろう。

 

 1989年6月の天安門事件の際、欧米はいち早く中国に対する経済制裁に踏み切った。日本も中国に対する第三次円借款の凍結などの制裁措置を断行した。道理があればやるべきなのだ。

 

 ところが日本は、1990年11月には欧米に先駆けて円借款の凍結を解除し、融和路線に踏み切る。それを日本の共産党がきびしく批判し、経済制裁の続行を求めたことを、いまでも鮮明に記憶している。

 

 さあ、香港問題である。そのような対処も念頭において準備できるかどうかが問われている。天安門事件の時と異なり、中国との経済的つながりから批判を弱めるのが先進国政府の傾向となっているだけに、市民運動や野党の役割が決定的になっていくのではないだろうか。